昨今日本では障碍者の数は増えているのですが、その背景には「自閉症」や「ADHD」など、いわゆる「発達障害」の子供たちの増加があります。
「自閉症スペクトラム」、聞いたことがあると思いますが、「スペクトラム」は「連続性」を意味する言葉で「自閉症スペクトラム」の概念には「健常者~自閉症症状が強度の人」まですべての人が含まれます。
がっつり健常者と障碍者を線引きして分けるのではなく、簡単に言うと「人より苦手なこと(もちろん得意なこともそれぞれ)」が、「誰でもあるよね、程度の差だよね」っていうこの考え方が私は好きです
「発達障害」に関しては「グレー」と診断された人の生きづらさを描いた漫画なんかもありますが、読んでみると会社に一人はいそうな感じ。
身近にも「グレーだと診断された」という人が何人かいて、なんだか考えてしました。
その子は、もちろん得手不得手、失敗はありますが「発達障害」か、と言われると「う~ん?」という感じ。
年齢差が20歳もあると、若い子たちの常識は私たちの常識と全く違うということが多々あり、私たち世代からすると今の子たちのほとんどがあまりに考え方が違いすぎて「発達障害グレー」にみえてきちゃうよね、とある人が言いました。
でもこの「常識」「非常識」のライン、線引きってその世代でどんどん変わっていってるよね、という話になりました。
だとしたら逆に20年後には、今の若い人たちの常識が一般的になり、「昔はこんなことが一般的にまかりとおってたんだよな、やばくない?あの世代」って私たちの時代の常識はいとも簡単に追いやられてしまうのだろうなあと(きっといい方に)
いやいや、もっとすると、そのラインそのものが存在しない「個の時代」が到来するのかも。
とすると、今障害だといわれていることは、20年後には障害でなくなるかもしれない。
車いすがなくても歩けるように医療や技術が進化して、眼鏡やコンタクトをかけた人と同じような軽い感覚で義足をつける日が来るかもしれない。
AIの進化で、より簡単な仕事を短時間だけする職種が現れ、障害も健常も関係なく働けるようになるかも。
「発達障害」というライン引きがなくなり、その人個人の「特徴」として認識、かかわっていくことになるかも。
「障害」となりうるもの自体がなくなれば、その人はもう「障害者」ではなくなる。
ただ私たちは連続(スペクトラム)する集団の中の一人として、それぞれ個を尊重し合いながら生きる世界が今到来しつつあるんだろうな、と思った次第でした。
やっぱり未来は明るい