遺志は継がない
「遺志は継がない」
これはですね、最近ようやく気付いたことです。
2年前に大事な人を亡くしまして、その人の死に納得できなくて、もっと生きていてほしくてずっと悲しくて苦しくてつらかったんですね。
なぜ私が生き残っているのか悔やんだし、私が身代わりになりたかった。
その人の方がずっと生きていてこの世に有益な存在だったのにって。
そしてそんな彼女の遺志を継ぐことが供養になると信じて彼女だったらどうするかいつも考えて生きてきました。
でもね、とっても苦しかったです。どんどん苦しくなりました。
「私は、彼女じゃない」
っていう当たり前のことを忘れていました
誰かの遺志を継ごうとするのではなく、自分の道を自分らしく生きる
「こうあらねば」「これをしなければ」亡くなった人は成仏できないかもしれないと自分の気持ちに蓋をして自分らしくない人生をそれこそ死んだように生きていました。
「亡くなった人の分まで生きる」
「亡くなった人の遺志を継いで共に生きる」
↑このような考えを否定するのではなく、もしそれで自分が苦しくてつらいままだったら
亡くなった人のために生きるのではなく、ありのままの自分で生きる。
そしたらもう苦しくないです
「そんなに悲しんでばかりいたら、亡くなった人が悲しむよ」
そう言われても、泣くか、悲しみに蓋をするかしかなかったけど。
自分が自分らしく今この瞬間を大切に生きることで、悲しみが癒えることに気付きました。
だからもう私は「遺志は継がない」