一二三神示 鎮守会

2024(6)2/12

第26巻30帖~帖

275号

 

ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻) (昭和25年1月22日 - 10月18日)(全39帖)

 

第三十帖(六四八)

表ばかり見てゐるから判らんのぢゃ。水晶の心なれば三千里先のこともありやか。人民と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。それは外からのものであるからぢゃ。まことの改心は、中の中ののキいただいて、ほっこんの改心出来ねばならん。死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。亡びる宗教に致して下さるなよ。(一月二十二日)

 

第三十一帖(六四九)

中の自分と外の自分と和せよ。それが改心の第一歩。聞かせてきくならば、実地はカタのカタ位ですむなれど。慾入ると邪気湧く、邪気湧くと邪霊集まるぞ。肉体人に神は直接分らんものぞ。神は(はたら)き、神の働きの影しか判らんものぞ。神の姿、見たと申すのは、神の姿の影を自分の心に描き出したまでであるぞ。心に判っても肉体に判るものでないぞ。肉を魂とせよ。魂を魂の魂と向上させよ。ひらけ来るぞ。何事もとがむでないぞ。とがむ心、天狗ぞ。神の前にへり下り、へり下っても尚過ぎると云ふことないのぢゃ。人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ。今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。他を排すでないぞ。(一月二十二日)

 

 

解説

・・・人民と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ・・・

 

・・・死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ・・・

 

・・・死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方・・・

 

・・・奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ・・・

 

・・・今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。亡びる宗教に致して下さるなよ・・・

 

・・・中の自分と外の自分と和せよ。それが改心の第一歩・・・

 

・・・慾入ると邪気湧く、邪気湧くと邪霊集まるぞ・・・

 

・・・肉体人に神は直接分らんものぞ・・・

 

・・・何事もとがむでないぞ。とがむ心、天狗ぞ・・・

 

・・・人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ・・・

 

・・・他を排すでないぞ・・・