一二三神示 鎮守会
2022(令和4)11/27
第6巻23帖~26帖
89号
ひふみ神示 第六巻 日月の巻 (昭和19年旧暦9月1日(新暦10月17日) - 11月30日) (全40帖)
第二十三帖 (一九六)
一升桝には一升しか入らぬと臣民思ふてゐるが、豆一升入れて粟(あわ)入れる事出来るのざぞ。その上に水ならばまだはいるのざぞ。神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ。神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが。江戸の仕組 世の終わりぞ。天おろがめよ。つちおろがめよ。まつはれよ。秋の空グレンと申してあろがな。冬も春も夏も気つけてくれよ。十一月十三日、ひつ九か三。
第二十四帖 (一九七)
ココニ、イザナギノミコト、イザナミノミコトハ、ヌホコ、ヌホト、クミクミテ、クニウミセナトノリタマヒキ、イザナギノミコト イザナミノミコト、イキアハシタマヒテ、アウ、あうトノラセタマヒテ、クニ、ウミタマヒキ。
コトの初め気付けて呉れよ。夜明けたら生命(いのち)神に頂いたと申してあろがな。太陽(ひ)あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。生活心配するでないぞ。ことわけて申せば今の臣民すぐは出来ぬであろが。初めは六分国のため、四分自分の為、次は七分国のため、三分自分の為、次は八分国の為、二分自分のため、と云ふ様にして呉れよ。これはまだ自分あるのざぞ。自分なくならねばならぬのざぞ。神人一つになるのざぞ。十一月二十日、ひつ九。
第二十五帖 (一九八)
ハジメ(ヒツキ)ノクニウミタマヒキ、(ヒ)ノクニウミタマヒキ、のクニウミタマヒキ、ツギニ クニウミタマヒキ。
神に厄介掛けぬ様にせねばならんぞ。神が助けるからと申して臣民懐手してゐてはならんぞ、力の限り尽くさなならんぞ。(ヒツキ)ととは違ふのざぞ。臣民一日に二度食べるのざぞ、朝は日の神様に供へてから頂けよ、夜は月の神様に捧げてから頂けよ、それがまことの益人ぞ。十一月二十一日、一二。
第二十六帖 (一九九)
、、、ウ、うにアエオイウざぞ。昔の世の元ぞ。、、、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ。サタナハマからあるぞ。一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱、と申してあろがな。五十九の神、七十五柱これで判りたか。はざぞ。には裏表上下あるのざぞ。冬の先 春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。十一月二十二日、ひつ九。
解説
・・・豆一升入れて粟(あわ)入れる事出来るのざぞ。その上に水ならばまだはいるのざぞ・・・
・・・神ならばその上にまだ幾らでもはいるのざぞ・・・
・・・神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが・・・
・・・江戸の仕組 世の終わりぞ・・・
・・・夜明けたら生命(いのち)神に頂いたと申してあろがな・・・
・・・太陽(ひ)あるうちはことごとに太陽の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ・・・
・・・生活心配するでないぞ・・・
・・・自分なくならねばならぬのざぞ。神人一つになるのざぞ・・・
・・・神が助けるからと申して臣民懐手してゐてはならんぞ、力の限り尽くさなならんぞ・・・
・・・昔の世の元ぞ。、、、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ・・・