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東京ディズニーシーの人気アトラクション、ソアリン・ファンタスティック・フライトのミュージアムに展示されている絵画中に、カメリア・ファルコを訪ねる日本人の姿が描かれていることを昨年7月の記事でご紹介しました。

 

 

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日本からの訪問団の中でも目を引くのが、着物に丁髷という和装の紳士。


その姿から、この一団が歴史の教科書の資料でよく見かける岩倉使節団ではないかとも感じられます。

 

 

 

 

しかし、リブログ記事の中では、この有名な岩倉具視の姿は、実は岩倉使節団の旅の最初の到着地である米国のサンフランシスコだけで見られたもので、米国東海岸、そしてヨーロッパに到着する頃には彼の姿はすっかり洋装になっていたはずなので、ファンタスティック・フライト・ミュージアムの絵画に描かれたこの人物は岩倉具視とは考えにくいということを書きました。

 

 

まあ、一言で言えばサンフランシスコでその人目を引く和装の姿をイロモノ扱いされた岩倉具視自身がバッサリと髷を落とし、服装も洋服に改めた、ということなんだそうですが…

 

 

先日、ひょんなことから当時の米国西海岸の新聞を物色していると、これと整合的な記事を見つけましたのでシェアしたいと思います。

 

 

まずは1872年1月に使節団がサンフランシスコに到着した際の記事です。1872年1月17日のサクラメント・デイリー・ユニオン紙の紙面から。

 

 

 

 

 

全権代表である岩倉具視が、これまで渡米してきた日本人と同様の着物姿ながら、庶民よりも遥かに上質な生地で作られた着物を着ていること、そして頭の上の立烏帽子が特に人目を引いたことが記されています。

 

 

ところが、同年2月に使節団が東海岸に向かって出発した際の記事がコチラ。1872年2月21日のロサンゼルス・スター紙の紙面。

 

 

 

 

 

 

岩倉具視の服装は燕尾服にパンツ、そして白手袋と、完全に洋装に改まっています。

 

 

やはり、着物に丁髷姿の岩倉具視を見ることができたのは最初の訪問地サンフランシスコだけだったというのは事実のようですね。

 

 

…となると、ファンタスティック・フライト・ミュージアムを訪れた日本人は一体誰なんでしょうはてなマーク