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東京ディズニーシーのアメリカンウォーターフロント・ニューヨークエリアを歩いていると、やっぱりニューヨークは移民の街だなぁ…と実感させる光景がたくさんありますよね
「ラフマニノフ」(RACHMANINOV)…ロシア系の名前が書かれた看板。
「シュトラウス・アンド・サンズ」(Strauss & Sons)…こちらはドイツ系の移民が家族で開いたベーカリーでしょうか。
そして、真ん中にハープが描かれた緑色の旗は、イギリスに植民地化される以前から慣例的に使われていたアイルランドの国旗です。
もちろん、日本からの移民も立派なレストランを構えています
そんなニューヨークエリアですが、少し物足りないかなぁ…と思うのは中華系移民の面影です。
以前、ディズニーランドパリのメインストリートUSAに、中華系移民が経営するクリーニング店(兼雀荘)があることについて書きました。
記事の中で触れていますが、20世紀初頭の米国では、中華系移民は手洗いによる衣服洗濯業の主な担い手であり、かなり存在感があったようです。
電動洗濯機の発明・普及と共に、手洗いの衣服洗濯業は1920年代以降ピークを越え、中華系移民は徐々に飲食業や農業など、他の職業に移っていきます。
それでも、ちょうどこの頃始まったハリウッド黄金時代をテーマとしたユニバーサル・スタジオ・ジャパンのニューヨークエリアには、このように中華系移民の経営するクリーニング屋があります。
…とはいえ、手洗いによる衣服洗濯業が廃れてきた時代を反映したせいなのか、魚介類の輸入(RARE FISH IMPORTER)とか仕立屋(TAYLOR)とか、なんかものすごい多角化したビジネスを営んでいるみたいですが
そういえば、パリに住んでいた頃、中華系の人がオーナーの散髪屋で冷凍した自家製餃子の袋詰め販売もしていて、なんか色々スゲーなと思った経験があります
このように、ディズニーランドパリのメインストリートやUSJのニューヨークエリアでは、漢字を交えたバイリンガルな表示で堂々と存在をアピールしている中華系移民ですが…
東京ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントでは、英語のみで書かれた「上海スーのサルーン」(SHANGHAI SUE'S SALOON)という酒場の看板によって、わずかに存在を確認できる程度にとどまっています。
さて、東京ディズニーシーのニューヨークエリアでは存在感が薄い中華系移民の面影ですが、現実世界のニューヨークでは、漢字で書かれた看板もたくさんありますし、街路表示も中国語で併記されていたりします。
ところが、近年はそうした中華系移民の生活の痕跡が姿を消しつつあるという記事がニューヨーク・タイムズに掲載されていました。
この記事によると、大陸横断鉄道が開通した1869年頃を境に、西部で鉄道建設に従事していた中華系移民が新たな働き口を求めてニューヨークに移り住み、1880年代には既に中華街が形成されていたそうです。
中華系移民の増大に伴い、中華街近隣の街路には、非公式ながら
・ MOTT St = 勿街
・ BAYARD St = 擺也街
などの漢字が充てられていたようです。
1960年代になると、英語が必ずしも堪能ではない中華系移民のために、ニューヨーク市が中華系移民の商工会議所などとも連携して英語・中国語を併用した街路表示の整備に着手し、1980年代半ばにバイリンガルでの街路表示はピークを迎えます。
ところが近年は、地価や住宅価格の高騰やヘイトクライムの影響等の生活環境の悪化に伴ってマンハッタン区の中華街の空洞化が進んでいます。
こうした状況の下で、老朽化した街路表示が付け替えられる際には、もはや中国語による表記は不要とみなされ、ピーク時には155個あったバイリンガルの街路表示が、今や101個にまで減少してきているのだとか。
時代の流れと共に、街の風景もどんどん変わっていくものなんですねぇ…