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東京ディズニーシーのパーク内を周遊するディズニーシー・トランジットスチーマーライン

 

 

メディテレーニアンハーバーで色とりどりの蒸気船が水路を行く様子を眺めているのも、風情があって良いですよねほっこり

 

 

先月の記事で、黄色い船のモリーブラウン号の船尾に置かれたトランクに、エジプトのアレキサンドリアにあったマジェスティック・ホテルのステッカー(の断片)が貼られていることについて書きました。

 

 

船名の由来となっているモリー・ブラウンという女性は、1912年に起きたタイタニック号遭難事故の生存者であること、マジェスティック・ホテルも1912年竣工の建物であることから、モリーブラウン号はSSコロンビア号の処女航海を控えた1912年をテーマとするアメリカンウォーターフロントに縁の深い船と言えそうです。

 

 

それでは、こちらのエメラルドグリーンの船はいかがでしょうかはてなマーク

 

 

 

 

船首に セバスチャン・カボットSebastian Cabot) と書かれてあります。

 

 

 

 

セバスチャン・カボットはイタリア生まれの航海者。イタリア名はセバスチアーノ・カボート(Sebastiano Caboto)と言うそうです。

 

 

1474年頃生まれたと考えられる人物ですから、メディテレーニアンハーバーのエクスプローラーズ・ランディングにあるレストラン、マゼランズがテーマとする航海者、フェルディナンド・マゼラン(1480-1521)と同時代人ということになります。

 

 

イタリア生まれのセバスチャン・カボットですが、実は最初に航海者として活動したのはイギリス。

 

 

同じく航海者であった父、ジョバンニ・カボートに従って、1484年にイギリスに帰化し、国王ヘンリー7世(在位1485-1509)の勅許を受けて、1497年に西回りのアジア航路を開拓する船団に参加し、カナダ北東部に到達します。

 

 

ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の「発見」は、1492年にクリストファー・コロンブスが成し遂げた、とされるのが一般的ですが、実はコロンブスはサン・サルバドル島などカリブ海の島々に上陸したのであって、大陸の存在には気付いていませんでした。

 

 

そこで、アメリカ「大陸」に最初に上陸したのが一体誰なのか?ということが論争の的となっていて、このセバスチャン・カボットもアメリカ大陸最初の上陸者の候補として名前を連ねています。

 

 

もっとも、彼が上陸したのも本土ではなく、ニューファンドランド島だったのではないか、ということが主張されているようですし、もう一人の候補者、アメリゴ・ヴェスプッチも、1497年にコスタリカに到達したと言われるものの、この1497年の航海自体が史実ではないという説もあるらしく、真相は解明されていません…

 

 

ともあれ、カボットはその後もアメリカ大陸への航海を重ね、1508年には北アメリカの東海岸を探検し、ハドソン湾やハドソン海峡を発見していますから、北米大陸の「発見者」とみなされるに相応しい、十分な実績を残していると言えるでしょう。

 

 

さて、その後のセバスチャン・カボットがイギリス国王の家臣として恵まれた宮廷生活を送ったのかと言うと、さにあらず。

 

 

ヘンリー7世の後を継いだ国王ヘンリー8世(在位1509-1547)は西回り航路の開拓のために必要な資金支援に熱心ではなかったため、カボットは航海活動を断念せざるを得なくなります。

 

 

そこで彼は、1513年にヘンリー8世の使節として赴いたスペインにそのまま移住し、スペイン宮廷に出仕します。

 

 

少し前に、マゼランズのスペシャルコースについての記事で書いたように、ポルトガルの下級貴族であったフェルディナンド・マゼランが、国王マヌエル1世と仲違いして宮廷を飛び出し、スペインに移るのが1515年ですから、ほぼ同じ時期の出来事です。

 

 

 

こうしたエピソードからも、当時のスペイン王室が、ライバル国よりも早く西回り航路を開拓し、アジアとの貿易による富を独占するために、出自を問わず有能な航海者を雇い入れることにいかに熱心であったかが分かるのではないでしょうか。

 

 

船乗りたちも、冒険航海に必要な資金援助さえしてくれるのであれば、他国に移り住むことを全く厭わない状況であったこともわかります。

 

 

かのクリストファー・コロンブスも、出身はイタリアのジェノヴァですが、アメリカを「発見」した1492年の航海は、スペイン王室の支援の下で成し遂げられています。

 

 

さて、スペイン宮廷で主席水先案内人の地位を得たセバスチャン・カボットですが、1526年から1527年にかけて行われたラプラタ川流域の探検において、期待された成果を上げられなかったことから、国王カルロス1世の怒りを買って投獄された後、アフリカに追放されてしまいます

 

 

ようやく1533年に赦免されると、今度はイギリスに戻り貿易会社の支配人や製図業者として晩年を過ごし、1557年に亡くなったそうです。

 

 

 

このセバスチャン・カボットといい、タイタニック号で遭難したモリー・ブラウンといい、スチーマーラインの船名は波乱万丈の人生を送った人物がモデルになりがちなのか…それとも、海に関わって生きる人物は波乱万丈の人生を送りがちなのか…うーん

 

 

他の蒸気船の名前も気になりますよねビックリマーク

 

 

機会を見て、他の船も紹介できればと思いますウインク