皆さんこんにちはニコ

 

 

今日は東京ディズニーランドのワールドバザールを取り上げてみたいと思います。

 

 

場所は、パークエントランスを抜け、お城に向かって右手のグランドエンポーリアム。

 

 

 

 

ショーウインドウの中に、こんなものが飾られているのをご存じでしょうかはてなマーク

 

 

 

 

ワールドバザール銀行」(BANK OF WORLD BAZAARが発行した1ドル紙幣

 

 

グランドエンポーリアムが開業した1883年に発行されたもののようです。

 

 

オモチャの「こども銀行券」的なジョークグッズにも見えますが、実はコレ、創作(と考えられる要素)も交えつつも、ワールドバザールがテーマとする20世紀初頭のアメリカにおける実際の貨幣の状況を反映したものなんですよビックリマーク

 

 

そこで、今日は、19世紀から20世紀初めにかけてのアメリカ貨幣史について書いてみたいと思います札束

 

 

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1.ドル紙幣は民間銀行が発行していた!

 

 

日本において円の紙幣を発行しているのは、言うまでもなく日本の中央銀行である日本銀行です。

 

 

アメリカでは現在、首都ワシントンDCにある連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board)と12地区に設立された連邦準備銀行(Federal Reserve Bank)から構成される連邦準備制度(Federal Reserve System)が中央銀行の役割を担い、ドル紙幣の発行を行っているのですが…

 

 

まず皆さんに押さえておいていただきたいポイントとして、

 

・ 1913年以前のアメリカには中央銀行が存在しなかった

 

ということがあります。

 

 

連邦準備制度を設立するための法律が制定されたのが1913年12月、連邦準備制度が実際に業務を開始したのは1914年です。

 

 

それでは1913年以前はどうなっていたのかと言うと、大部分の時代において、市中の民間銀行がドル紙幣を発行していたんですビックリマーク

 

 

東京ディズニーランドのワールドバザールのモチーフは、各国のディズニーランドにあるメインストリートUSAと同じく、20世紀初頭のアメリカの町

 

 

まだ中央銀行としての連邦準備制度ができる以前の時代です。

 

 

伝統的にアメリカでは、金融資本の集中は銀行家による産業の支配につながるとして、中央集権的な中央銀行制度は忌避され、1913年の連邦準備法の制定過程においても根強い反対の声があったぐらいです。

 

 

他方、政府高官の中にはアメリカ独立後の早い段階で、貨幣制度や金融市場の安定化の観点から、中央銀行の必要性を認識していた人々も居ました。

 

 

1791年に当時の財務長官であったアレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton, 1755? - 1804)が主導し、フィラデルフィアに設立した第一合衆国銀行(First Bank of the United States)は、アメリカに中央銀行を設立しようとする動きの一つでしたが、連邦議会での反対論との折り合いを付けるため、20年という期限が付されていました。

 

 

こちらが第一合衆国銀行の建物(出典:米国国立公園事業所HP)。

 

 

 

中央銀行制度を警戒する声の強さを反映するかのように、1811年に第一合衆国銀行の営業期限が切れると、その後1816年にマディソン大統領が第二合衆国銀行を設立するまでの間、5年間の空白期間が生まれます。

 

 

また、第二合衆国銀行も、反中央銀行派のアンドリュー・ジャクソン大統領在任中の1836年に期限切れを迎えると、そのまま失効してしまいます。

 

 

こうして、1836年以降、南北戦争に至るまで、紙幣の発行や流通に対して連邦政府が関与することのない「自由銀行業の時代」(The Free-Banking Era)が到来します。

 

 

この時代には、銀行業の規制は州政府の手に委ねられ、ウィスコンシン州のように銀行業そのものを禁止する州や、インディアナ州やイリノイ州のように、州政府の認可を受けた単一の銀行だけに紙幣の発行を許可する州もありましたが、ニューヨーク州など多くの州では、市中の民間銀行が自由にドル紙幣を発行することが許されました

 

 

ただし、「自由に」とは言っても、民間銀行が手前勝手に発行する紙切れに額面通りの価値があることが人々によって認められなければ、紙幣として流通するはずもありません。

 

 

そこで、ルールの上では、銀行は、自らが発行する紙幣の価値の担保として、金や有価証券を資産として保有することが求められていましたが、こうしたルールが守られていることを必ずしも政府がきちんと監督していたわけではありません

 

 

このため、価値のある資産を持たない銀行が紙幣を大量に発行・流通させる、「ヤマネコ銀行業」(wildcat banking)が横行しますが、そのような銀行の営業が行き詰まり破綻すると、発行された紙幣は紙クズ同然の価値となってしまいます。

 

 

連邦準備制度の12の地区連銀の一つ、サンフランシスコ連邦準備銀行のHPによれば、南北戦争発生前夜の1860年までに、8,000もの銀行が各々の銀行券をドル紙幣として発行していた(!)と言われます。

 

 

こうした状況を考えれば、人々の財布の中に、不健全な銀行が発行する、価値の裏付けのない紙幣が相当数紛れ込んでいたとしても不思議ではありませんね…あせる

 

 

実際に南北戦争前のドル紙幣を眺めると、当時様々な種類のドル紙幣が流通していたことが実感できると思います。

 

 

こちらはニュージャージー州のパースアンボイ・シティ銀行(Perth Amboy City Bank)の発行した1ドル札。

 

 

 

 

こちらはジョージア州立銀行(Bank of State of Georgia)の1ドル紙幣。

 

 

 

 

さらに、図柄にご注目いただきたいのがミネソタ州のヘイスティングス銀行(Bank of Hastings )の1ドル札。

 

 

 

 

お気付きでしょうかはてなマーク

 

 

冒頭に紹介した、ワールドバザール銀行の1ドル札と図柄が同じなんです!!

 

 

ただし、紙幣が発行された年をよく見ると、ヘイスティングス銀行のものは1863年とありますが、ワールドバザール銀行の紙幣は1883年となっていて、20年のズレがありまます。

 

 

実はこの20年のズレが、実際の歴史との間で辻褄の合わない部分になっています

 

 

引き続き、南北戦争後の貨幣制度の変化について見てみましょう。

 

 

 

2.全米銀行法成立: 民間銀行による紙幣の発行は連邦政府が監督

 

 

さて、南北戦争以前の時代のように民間銀行が自由に発行する銀行券が貨幣として用いられることの問題点として、

 

・ 不健全な銀行券の混入が貨幣の価値に対する信頼を揺るがせる

 

ということが挙げられます。また、もう一つの問題点として、

 

・ 政府が貨幣の発行・流通量をコントロールできない

 

という点も重要です。

 

 

この点は、戦争などに伴う多額の財政支出を賄う必要が生じた場合に際立って問題となることが多く、他国の例を見ても、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行は、1689年に始まったフランスとの九年戦争に必要な戦費を調達するため、国債を買い上げて政府に貨幣を供給するための組織として1692年に設立されたものです。

 

 

アメリカにおいても、南北戦争の開始とともに、戦費を円滑に調達するための安定的な貨幣制度の必要性が強く認識されたことが、1863年の全米銀行法(National Banking Act)の制定に繋がったものと考えられます。

 

 

この法律は、連邦政府から許可を与えられた民間の銀行(国法銀行)は、連邦政府の通貨監督官(Comptroller of Currency)による監督の下、預託金の金額に比例して紙幣を発行することができるという内容のものでした。

 

 

また、国法銀行が資産として保有する国債を、発行する貨幣の担保とすることが求められます。

 

 

同時に、市中に流通する紙幣を国法銀行券に一本化するため、各州の法律に基づいて業務を行う民間銀行(州法銀行)に対して、紙幣の発行高に応じて税が課されるようになりました。

 

 

このようにして、連邦政府が貨幣の発行・流通量に対して一定のコントロールを行うようになるのですが、「国法銀行」といっても、数を限るものではなかったので、法律の制定後、続々と国法銀行が設立される大きな流れが生まれます。

 

 

連邦準備制度を創設するための立法のために必要な調査を行うために、連邦議会上院に組織された「全米貨幣委員会」(National Monetary Commission)の報告書によれば、

 

・ 1867年の時点で早くも1,636の国法銀行が営業を行っていましたが

 

・ 冒頭でご覧いただいた「ワールドバザール銀行」のドル札が発行された1883年には、国法銀行は2,417行にまで増加しています。

 

 

全米銀行法の下でドル紙幣を発行する銀行は、「国法銀行」("National Bank")を名乗り、銀行券にもそのことが明記されました。

 

 

例えばこちらは、ニューヨーク州第7区国法銀行(Sventh Ward National Bank of New York)が発行していた1ドル札です。お札の一番上の部分に、"National Bank"の表記が確認できます。

 

 

 

 

他方、自由銀行業時代の活発な銀行券発行の結果、1864年の時点では、州法銀行券の発行高が1億7,916万ドルと国法銀行券3,124万ドルを圧倒していました。

 

 

ところが、1865年及び1866年の法改正により、州法銀行券に対する課税が強化され、紙幣を発行する銀行のみならず、それを流通させる個人に対しても税が課されるようになると、州法銀行券の整理も着々と進んで行きます

 

 

全米貨幣委員会の報告書によると、1876年には国法銀行券の発行高は3億3,800万ドルにまで増加したのに対し、州法銀行券の残高は105万ドルにまで減少し、ほとんど消滅するに至りました。

 

 

こうした事実を踏まえると、

 

・ 国法銀行(National Bank)を名乗っていない以上、ワールドバザール銀行は州法銀行と考えられる

 

のですが、

 

・ 州法銀行券であるワールドバザール銀行券が、1883年になってもなお新たに発行され、市中に出回ることは想定しづらい

 

という問題が発生します。

 

 

この点を辻褄が合うように説明するのは難しいのですが、州法銀行券は発行や流通に高額の課税がなされただけで、決して禁止されたわけではありません。

 

 

1883年という発行年は、グランドエンポーリアムの開業年に合わせて設定したものと考えられます。

 

 

ひょっとすると、連邦政府による課税をものともせず、資金力の豊かなワールドバザール銀行が、ワールドバザール最大の百貨店、グランドエンポーリアムの創立を祝って発行した記念紙幣、ということなのかも知れませんね…!!

 

 

 

3.金融恐慌を経て連邦準備制度の成立へ

 

 

こうして、紙幣の発行は連邦制度の監督の下に置かれるようになったものの、人々から集められた預金を元に、企業への貸し出しを行うという銀行業そのものに対する監督は未だ確立されていない時代です。

 

 

銀行は、預金者が預金の一部の払い戻しを求めて来た時のために、必要な準備金を用意しておく必要がありますが、十分な準備を手元に残さず、リスクの高い事業に対する融資を活発に行う銀行が破綻することがしばしばありました

 

 

1870年代から1900年代初めは、銀行破綻に伴う金融パニックの時代と言われています。

 

 

とりわけ1893年と1907年の金融恐慌は、当時のアメリカ史上最悪の不況を引き起こしますが、事態を収拾したのは政府ではなく、ジョン・ピアポント・モルガン(J. P. Morgan, 1837-1913)を中心とした民間銀行のシンジケート団でした。

 

 

これら恐慌の発生から得た教訓を踏まえ、貨幣制度及び金融市場双方の安定化を図るために1913年の法律により創設されたのが連邦準備制度です。

 

 

これにより、

 

・ 国法銀行に代わり連邦準備制度が唯一の発券銀行としてドル紙幣の発行を行うほか

 

・ 国法銀行は、所在する地区の連邦準備銀行の持分を買い取って制度の加入者になるとともに、預金の払い戻しに備えて一定の準備金を連邦準備銀行に預け入れることが義務付けられます。

 

・ また、連邦準備制度は銀行業の監督も行い、銀行の資金繰りに支障が生じた際には、「最後の貸し手」として、制度に加入した国法銀行に対して貸付を行う機能も担いました。

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以上、19世紀から20世紀初めにかけてのアメリカの貨幣史をざっと眺めてみました。

 

 

ワールドバザール銀行が発行したドル紙幣は、発行年にやや無理があるものの、連邦準備制度が成立する直前の「世紀の転換点」の状況を再現したものと言えます。

 

 

グッズショップのショーウインドウ内にも、アメリカの歴史を語るプロップスが配置されている辺り、さすがというほかありませんねびっくり