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今日は、ディズニーランドパリのフロンティアランドの豆知識。

 

 

フロンティアランドのエントランスは、Fort Comstock (コムストックの砦)と名付けられていて、中がちょっとしたミュージアムになってるのをご存知ですかはてなマーク

 

 

砦の中に飾られたセットと人形から、西部開拓史の一端を垣間見ることができるんですビックリマーク

 

 

コムストック砦という名前は、ネバダ州で1859年に発見された銀の鉱床、コムストック・ロード(Comstock Lode)にちなんで名付けられたもの。

 

 

ここで得られた富が、一足早くゴールドラッシュにより西部一の都市への変貌を遂げていたサンフランシスコの銀行へと持ち込まれ、サンフランシスコの更なる発展の礎となった、と言う話は、メインストリートUSAにあるケーブルカー・ベイクショップの展示に書いてあるとおりです。

 

 

それでは、砦の中を見てみましょう~ニコ

 

 

まずは、このカウボーイと羽根ペンを走らせる紳士の後ろ姿。

 

 

室内を窺う窓の横には、次のような説明があります。

 

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The Showman: Headin' East with a Wild West Show

 

Nobody did more to promote the romance and excitement of the West than Buffalo Bill Cody.

 

His congress of rough riders travelled the world over, thrilling audiences with the spectacle of roping, trick riding, Indian attacks and cavalry charges.

 

For many Easterners and Europeans, the image of this tall buckskin-clad man astride a white horse personified the West.

 

 

【日本語訳】

興行師 ― ワイルド・ウエストのショーとともに東へ向かう

 

西部のロマンと興奮を宣伝することにかけては、バッファロー・ビル・コーディの右に出るものは居ない。

 

彼の騎兵団は世界中を旅し、輪投げや曲芸乗馬、ネイティブアメリカンの襲撃と騎兵の突撃のショーを行って観客を興奮させた。

 

多くの合衆国東部やヨーロッパの人々にとって、このシカ革のスエードを纏い、白馬に跨った男のイメージこそが、西部を体現するものとなった。

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バッファロー・ビル・コーディ(Buffalo Bill Cody、1846-1917)は、実在の西部開拓時代のガンマンです。

 

 

アイオワの農家の子として生まれた後、家族に連れられてカンザスへ。幼い頃から馬や銃(!)の扱いに長けていたという彼は、1861年に15歳でミズーリ州セントジョゼフとカリフォルニア州のサクラメントを結ぶ速達郵便(ポニー・エクスプレス)の御者となります

 

 

1867年にはバッファロー・ハンターとして鉄道建設労働者に食料を供給して名を上げ、このことから「バッファロー・ビル」の愛称で呼ばれるようになります(彼の本名は、ウィリアム・フレデリック・コーディ、William Frederick Codyと言います)。

 

 

西部の情報に詳しかったことから、軍との交流も深く、南北戦争(1861~1865年)においても、北軍の陸軍のスカウトとして参戦し活躍したそうです。

 

 

1869年にはその英雄的な半生が、当時流行していた大衆向けの「10セント小説」(dime novels)の作品として取り上げられ、彼の知名度が一気に高まります。

 

その10セント小説の内容がこちら。探せばあるもんなんですねぇびっくり

 

 

そして、この展示に描かれている興行師としての彼の人生は、1880年頃に始まったようです。

 

 

拳銃捌きや駅馬車襲撃などを実演する「ワイルド・ウエスト・ショー」(Wild West Show)を立ち上げ、合衆国東部やヨーロッパを巡業しました。

 

 

バッファロー・ビルは、ネイティブ・アメリカンのスー族のシッティング・ブル(Sitting Bull)や、往年のガンマンやアウトローといった、「本物」をショーに登場させ、大成功を収めます

 

 

この展示室でも、3人がヨーロッパの地図を囲んで何やら話しています。巡業の計画を練っているところでしょうかはてなマーク

 

 

ちなみに、ディズニーランドパリのショッピングモール、ディズニービレッジでは、このバッファロービルがヨーロッパで巡業した往年の「ワイルド・ウエスト・ショー」を上演するショー・レストランがあります。ミッキーたちも登場しますよ!!

 

 

Baffalo Bill's Wild West Showのご案内は、こちら

 

 

 

次に、何やら不気味な雰囲気ガーンのこの部屋。

 

 

以下のような説明があります。

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The Frontiersman: King of the Wild Frontier

 

The West would still be wild if not for those who blazed trails through America's wilderness in the early 1800s. In the mythic realm of these courageous folk heroes, Davy Crockett's exploits were as big as the West itself.

 

According to popular tales, he "kill't him a b'ar when he was only three" and "whup'd his weight in wildcats". With every telling of the tale, backwoods folk ensured that heroes like Crockett would live forever as legends of the West.

 

 

【日本語訳】

フロンティアの男:辺境の荒野の王

 

もしも1800年代の前半にアメリカの荒野に道を切り拓いた人々が居なかったならば、西部は未だに荒野のままであったであろう。勇敢な国民的英雄たちの神話的な世界の中では、デイヴィ・クロケットの功績は、西部そのものと同じくらい巨大なものである。

 

人々が好んで話す物語によれば、彼は「わずか3歳の時にクマを退治」し、「ヤマネコをも打ち負かす」ことができるとのことである。この手の物語が一様に語るところによれば、未開の土地の人々の間では、クロケットのような英雄は、西部の伝説と同様に不死身の存在であると信じられている。

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デイヴィ・クロケット(Davy Crockett、1786-1836)は、バッファロー・ビルよりも更に前の時代の軍人です。

 

テキサス独立を支持し、アラモの戦い(1836年)でメキシコ共和国に敗れて戦死しました。

 

 

動物の皮でできた帽子を好んで着用していたことから、「クロケット帽」という言葉が生まれたそうです。

 

この展示室のデイヴィも、クロケット帽をかぶっていますねビックリマーク

 

 

 

しかし、3歳でクマ退治

 

金太郎と極真空手の「熊殺し」ウイリー・ウイリアムスが束になってかかっても勝てなさそう

 

です。。。

 

 

 

実在のデイヴィは、1810年代は州兵としてネイティブ・アメリカンとの戦争に従事し、1820年代~1830年代にテネシー州の下院議員であったりした人物で、西部開拓史との関係はよく分からないのですが、民間伝承では英雄的な開拓者とされているようです。

 

 

実際には戦死してしまったデイヴィですが、民間伝承では西部に落ち延びて開拓者となったと信じられているのでしょうか…義経伝説みたいな感じです。

 

 

 

さらに、コムストックの砦の中にある階段を上がっていくと、西部の保安官と遭遇します。

 

 

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The Lawman: Three Down and Six to Go!

 

In wild frontier towns, justice was dispensed with the blaze of a gun, and the job of lawman went to the man with the quickest draw. 

 

Names like Wyatt Earp, Wild Bill Hickok and Bat Masterson became synonymous with daring bravery and sharp-shooting in towns like Tombstone, Abilene and Dodge City.

 

These men who wore the badge stood as stalwart guardians of Western law and order.

 

 

【日本語訳】

法の執行者 ― 3つ倒した、残りは6つ!

 

西部の荒野の町では、拳銃の閃光が正義に取って代わり、法の執行者の仕事は、拳銃を最も早く抜くことができる者の手に委ねられた。

 

ワイアット・アープ、ワイルド・ビル・ヒコック、そしてバット・マスターソンといった名前が、トゥームストーン、アビリーン、ドッジシティといった町では、大胆不敵で正確な射撃の代名詞となったのである。

 

バッジを身に着けた人々が、西部における法と秩序の屈強な保護者として存在していた。

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この窓の向こうの人物が果たして3人の中のいずれかなのかはてなマーク

 

ワイアット・アープ(Wyatt Earp、1848-1929)ワイルド・ビル・ヒコック(Wild Bill Hickok、1837-1876)バット・マスターソン(Bat Masterson、1853-1921)はいずれも実在の保安官

 

 

その中でも、ワイルド・ビル・ヒコックは、最初の展示室に居たバッファロー・ビル・コーディのマブダチでもある、という西部開拓史の象徴的な存在です。

 

 

1857年にカンザスで、1861年にネブラスカで保安官となった後、南北戦争においては、彼もまたバッファロー・ビル・コーディと同様に北軍に兵士として雇われ、情報収集等で活躍します。

 

彼の部隊がバッファロー・ビルによって救出されたこともあったそうです。

 

 

その縁からか、ワイルド・ビル・ヒコックは、1872年から、バッファロー・ビルの誘いにより、彼が主催する「ワイルド・ウエスト・ショー」にガンマンとして出演しています。

 

ところが、彼自身は演劇ショーに役者として登場することをあまり好んでいなかったらしく、照明を当てられたことを不快に思い、照明を撃ち抜いたりしたこともあったそうです。結局ワイルド・ビル・ヒコックの出演は、翌年の1873年が最後となりました。

 

 

トゥームストーン(Tumbstone)、アビリーン(Abilene)、ドッジシティ(Dodge City)といった町も、いずれも実在で、それぞれアリゾナ州南東部、カンザス州中部、カンザス州南西部にある町の名前。

 

 

トゥームストーンはかつては銀山の町としてサンフランシスコを凌ぐ都市でした。銀山が掘り尽くされた後、急激に衰退していくのですが、現在では西部開拓時代の街並みを残す観光地として人気を集めているようです。

 

 

また、アビリーンはワイルド・ビル・ヒコックが、ドッジシティはワイアット・アープやバット・マスターソンが保安官を務めた町でもあります。

 

 

 

このように、パリのディズニーランドのパーク内には、西部開拓の歴史をはじめ、アメリカの歴史や文化に触れることのできる、ちょっとした仕掛けが隠されていたりします。

 

…隠しているわけじゃなく、僕たちが気付かずに通り過ぎてしまうだけかも知れませんがあせる

 

 

こういうものを見つけてみるのも、結構面白いもんですよウインク

 

 

 

そして、西部開拓史の小さなミュージアムを登り切ると…眼下にはフロンティアランドが…!!

 

 

 

右前方の木がビッグサンダーマウンテンを遮ってしまっていますが汗

 

左前方には、ビッグサンダーマイニングカンパニーを創設したヘンリー・レーベンスウッドの邸宅が見えますニコニコ