今日は、トゥモローランドのシンボル、スペースマウンテンについて。

 

 

東京ディズニーランドでは、開園当初の1983年からあるアトラクションですが、アメリカでは1975年にマジックキングダムで初お目見えし、その大成功を受けて、1977年にはロサンゼルスのディズニーランドにもオープンしました。

 

 

デビューは1970年代ですが、あの星がきらめく宇宙空間を疾走する屋内型のローラーコースター というアイデアは、ウォルト・ディズニーが1960年代前半に構想したものなんだそうです。当時は、それを実現するテクノロジーが追い付いておらず、構想は先送りになってしまっていたのだとか。

 

 

この、ウォルト・ディズニーが構想し、アトラクションが実現するまでの1960年代~1970年代半ばとは、どういう時代だったのか?

 

 

それはまさに、アメリカ航空宇宙局(NASA)が、人類発の月への有人宇宙飛行を計画した、アポロ計画の時代です。

 

この時代は、アメリカとソ連との冷戦の下で、弾道ミサイルや人工衛星など、軍事利用が可能な科学技術を発展させる目的で、宇宙開発競争が激化していました。人類発の人工衛星であるスプートニク1号の打ち上げに成功したソ連は、有人宇宙飛行や月・惑星探査機などの人類初の試みを次々と成功させ、宇宙開発競争を大きくリードします。

 

これに後れを取り戻すべく、「人類を月面に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という目標を10年以内に達成する、として、1961年に着手されたのがアポロ計画です。

 

 

このように、世界を二分する超大国が、互いに軍事的優位を争う実験の場として宇宙が利用されていた時代に、スペースマウンテンのアイデアは生まれました。

 

 

ウォルト・ディズニーのイマジネーションとビジョンは本当にすごいなと思うのですが、同時代の人々が軍事競争をきっかけに宇宙への関心を高めていく中、彼はこのアトラクションのコンセプトを

 

  • 未来において実現するであろう、民間人の宇宙旅行

 

と設定します。ウォルト・ディズニーの当初の案では、このアトラクションは、"Space Port"(宇宙の港)と名付けられており、その後も、"Space Voyage"(宇宙旅行)という名前でプロジェクトの検討が続けられていました。

 

軍事目的の宇宙開発がピークを迎える頃に、調査や探査ではなく、旅行で宇宙に行く時代が来ることを想像するなんて、素敵ですね。

 

 

一方で、宇宙空間を疾走するコースターのリアリティの追求は徹底しており、ディズニーランドは、アポロ計画に先行して実行された、マーキュリー計画及びジェミニ計画の宇宙飛行士だった、ゴードン・クーパーをコンサルタントに起用します。スペースマウンテンの完成度たるや、ゴードン・クーパーをして、「危険を伴うことなく、本物の宇宙空間に飛び出すのと同じくらい」の体験、とまで言わせています。

 

 

このゴードン・クーパーを含め、マーキュリー計画の7人の宇宙飛行士のうち6人と、アポロ1号の事故で亡くなったガス・グリムソンの未亡人は、1977年5月27日のロサンゼルスのディズニーランドでのスペースマウンテンのオープニング・セレモニーに招かれます。

 

この日のディズニーランドは、スペースマウンテンの待ち行列がパークのゲートの外にまで続くほどの大盛況で、戦没将兵追悼記念日の連休3日間で、18万5,500人もの来園者を集めたそうです。

 

今でこそ、ディズニーランドとディズニーシーの2つのパークを合わせて、一日平均8万人以上の来園者が居ますが、1983年開園当時の東京ディズニーランドの来園者数は、一日平均3万人くらいですから(参考:オリエンタルランドHP)、その感覚で考えれば、普段の倍ぐらいの人を集めた感じでしょうか。

 

 

時は移って2019年の現在。宇宙開発を手掛けるシリコンバレーのベンチャー企業が、2023年にも民間初の月周回旅行を実現することを計画しています。

 

ウォルト・ディズニーは60年後の世界を予言していたのか!?

 

ひょっとすると、幼少の頃、ディズニーランドで楽しい思い出を作った人たちが、スペースマウンテンに憧れて、ウォルト・ディズニーのビジョンを追い求めているのかも知れないですねウインク