5度の臨死小林氏と2度の死にかけ
20230611
この度. 青森弘前から下北半島への イタコ口寄せ体験ツアー に行ってきました. とても貴重な体験でした。 行こうと決めた最初のきっかけは. 私は. 自分の父親博さんとの思い出からです。若い頃は.  職業革命家の使命感サヨクだった私の発言と. 戦争にハノイ現地駐在時代から命がけで戦ってきた父、博さんが生きた人生を超えた今の年代に於いて、出来ることなら父と話したかったのです。 昔は色々論戦しました。 しかし年を重ねて来て私の主張は悉く戦後占領軍教育による歪められたサヨク教育の成果であること。それに対して父は戦前からのニッポン教育の柱が有った。振り返れば悉く父の話したことが正論でした。世界へ企業戦士として三井物産ハノイ駐在。戦後は日トレマニラ駐在時代はマグサイサイ大統領から銀杯を頂き、プリンス自動車代理店作り、中東サウジアラビアから欧州へ広げ、東芝の地下鉄をソウルに作った。筋金入りの博さんはニッポンの土壌、芯の太さが私のようなデラシネとは違っていた。そんな博さんに今の私や子や孫たちをどのように見ているか、私の生き方、死んでいくこの先の過ごし方はどうあるべきかを示唆して気が付かせて頂ければ何よりと イタコの口寄せツアーに参加した。 戦争、革命など意見の違いは、根っこ太さの違いと気付かされた 今。父博さんの意見の方が正しいと確信するようになりました。

 そんなこともあって. イタコに話を聴きに行きたいと思い行ってきました。

 率直に言えば イタコの方は. 妻の母親とのやりとりとも私の博さんとのやり取りもほとんど同じ内容を繰り返します。感謝してるよ。 供養してくれてありがとうと。口寄してもらう人、誰もがみんな 納得できるような話ばかりでした。はっきり言って私には. このイタコの人は.  誰もが. 納得できる話しか.できないのだということを 私の家族の名前を出して問いかけたことで理解しました。 しかしそれが. インチキで. なんちゃってイタコだと. という風に 私は批判する気は全く!ありません。.   
    なぜなら. そういう話でも聞いて. 納得して安らげる人は. たくさんいるのだから。イタコが昔は. 500人ぐらいいたが今では6人だ。という 記事を見ると. まあなんちゃってイタコでもいいから. そういう話で会えたと思わせてくれる イタコでもいないよりはいた方がいいんじゃないかなと思いました。 
    現代では貴重なイタコさん体験ができたのは有り難いことでした。だだ、他に本当に降霊し、憑依した霊の話をする人もいるかもしれませんと書き加えておきます。
 恐山の. 前山主の熊谷紘全さんの.愛人問題を私は. どこかの記事で見ただけでありながら. 火のない. ところに煙は立たないかのように. ほぼ全面的に信用して. 妻に批判がましく話してしまったことは. もしかしたら. 紘全さんには申し訳ない発言 だったかもしれません。まあ 男と女 愛人と旦那さんとの関係. 必ずしも 坊主だからドーのコーのと言う事はないのかも知れません。そのためなのか. 今のネット記事には何も. 出てこない。(ただ三途の川の木製橋、昔は歩けたのが通行止めで、紘全さんが企画した石橋への架けかえクラウドファンディングも集まらず中止のママは痛々しい。   https://readyfor.jp/projects/osorezan
   熊谷紘全は悪人だったのか?)

 挙げ句の果て三沢からの飛行機は飛ばず、青森空港まで一時間半移動。更に出発が更に一時間遅れ最終電車に間に合わず、池袋からタクシー。
 私は. 私の考え方がここでも間違っていたのかもしれないと. 思うようになりました.。
 禍福はアザナエルナワノゴトシ人生。宇宙の一瞬の人生。
 
 この旅の直前に偶然というか必然に見させてくれた本。「5度の臨死体験でわかったあの世の秘密」小林健著は沁みました。私も死んでいておかしくない体験を二度していますから。良く理解できました。

 世のため人のため、宇宙の素粒子の一粒として永遠の命を生きる者「物」として。宇宙の神々、先祖代々の御霊に感謝して。。。

 素粒子に還って先祖も宇宙の交流を一瞬のうちに行っていれば、イタコの人に〇〇はあの世で誰それと会えましたか等と聞く必要が無くなります。幸せに成仏出来ている。という言葉は嘘ではなく、素粒子に還った万物の姿なのだという言葉を現界の私達に伝えている言葉なのでしょう。

 世のため人のため、宇宙の素粒子の一粒として永遠の命を生きる者「物」として。宇宙の神々、先祖代々の御霊に感謝して。。。

2023/06/10 07:43:00 開始!