共感と客観 |  みねやまみちひとりごち (峰山道独言)

 みねやまみちひとりごち (峰山道独言)

   みねやまみちは 石ごろごろ  坂道 よこ道 けもの道 いのちの道  
  めぐりくる 日々を しばしとどめて つむごう

   峰山鍼療所 (みねやまはりいやしどころ) のひとりごとです ♪

 昨日も今日もピースリーディングの稽古。


 昨日、13時から21時までの長丁場だったので、今日の稽古は時間が短縮された。


 稽古の間に、みんながどんどんよくなってゆく過程に居合わせてもらえることが、ほんとにうれしくて楽しいと思う。


 グループ別の稽古で、私が投げかけたことを、仲間たちが受け取ってくれる。

 何とか観客に伝わるようにと、自分で、共演する部分の仲間たちで、探りながら、創ってゆく。


 自分のことは見えていないのに、ヒトのことはよく見えるものだ。


 「演出」 が何度も指摘しているのに変わらないかた。

 忘れてしまうかた。 

 指摘されたことが理解できないように見えるかた。


 よそから見ていると演出の言いたいことはわかるのだが、なかなか本人には浸透してゆかない。

 「指摘される」 ということに慣れていないのかも知れない。


 私も、イントネーションをすぐに間違える。

 「等しく」 の 「ひ」 が 「無声音」 にならなくて、消えてしまう。

 台本についつい目を落としてしまう。


 仲間に指摘されて、自分は、自分の役割をおいといて (ほかの出演者のセリフを) “聞いてしまう” ということに気づいたメンバーがいる。

 ほかの役の想いに、役柄ではない 「自分」 が共感してしまうのだ。

 それだけ集中しているのだろう。

 そこまで共感して、客観まで持ってくるには、ピースリーディングの稽古は短すぎるのかも知れない。