埋もれていた女性性が目覚める!?‥‥わけでもないが |  みねやまみちひとりごち (峰山道独言)

 みねやまみちひとりごち (峰山道独言)

   みねやまみちは 石ごろごろ  坂道 よこ道 けもの道 いのちの道  
  めぐりくる 日々を しばしとどめて つむごう

   峰山鍼療所 (みねやまはりいやしどころ) のひとりごとです ♪

 7月から月に2回、大川生涯学習交流館のフラダンス教室に通い始めた。 “フラ”という言葉が「ダンス」の意味があるとか聞くので、「フラ」と呼んでいる。
 テレビの趣味講座で見て、踊る前に輪になって祈りをささげるところに魅かれた。 もともとは神に奉げる踊りだっただろう。 私の住んでいるここらの地域で伝承されている神楽に近いものがあると感じている。
 教室の方は、私が入って16名、みな女性である。 祈りはしないが、フラ自体が、とても健康的で平和的でハッピーで愛に満ちていると思う。 スカートなんて不祝儀の時しか履かないのであるが、ひらひらさせて、裸足で踊る。 とてもとても楽しい。 
 やたら腰を振るフラダンス、というイメージがあるが、左右の足への重心移動に腰がついてゆくというだけで、敢えて振らなくていい、というのが指導してくれる先生の考えである。 優雅に見えるが、肩を動かさない、肘を伸ばす、手首を立てる、指を開かない、目線は手の先、中腰、連続した緩やかな手の動き、などなど、なかなかインナーマッスル(深部筋肉)の鍛錬になる。 武道に近い気もする。
 私は踊りの手順を踏んでゆくのに精一杯で、ちっとも優雅にならない。 毎日台所で復習しているのだが、教室の先輩方はそれぞれに手や腰の動きがなめらかできれいで、内面を表現するのは難しいものだなと思う。 先生はわりとしゃきしゃきおっしゃる方でさばさばしてらっしゃるのだが、踊られると、その空間が、あでやかな南国の花のように、華やかに明るく、愛と調和が発露しているような感じになる。 さすがである。
 先輩方は、これから各地の敬老会で練習の成果を披露されるようだ。 秋の農業祭の舞台に毎年みんなで出場するらしいが、私は踊れるだけで幸せなので、辞退させていただこうと思っている。
 フラは究極の手話、とか言われる。 ひとつひとつの動きが、「場所」やら「それで」やら「私」やらいろんなモノや動作を表わしている。 もっといろいろわかってくると、「みねやまのフラ」とかを創作することができるのではないかしらん。 愛と感謝と平和の祈りを、月影の下、山々に囲まれたみねやまで踊ることができたら最高だなあ。