58 新約16 山上の説教 Sermon on the Mount

 

「心の貧しい人々は幸いである、天国はその人たちのものである。」(マタイ5:3

 

Blessed are the poor in spirit: for theirs is the kingdom of heaven. (Mat 5:3)

 

「最初に神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これら必要なものはすべて与えられる。だから、明日のことを思い悩むな。明日のことは明日が思い悩む。1日の苦労は、その日で十分である。」(マタイ6:33-34

 

“Seek first the kingdom of God and His righteousness, and all these necessary things shall be added to you. Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about its own things. Sufficient for the day is its own trouble.” (Mt 6:33-34)

 

 イエスは言葉の天才で、多くの心に残る印象的な言葉を語りました。その中のいくつかは日本の諺にも取り入れられています。例えば、「豚に真珠」(マタイ76)、「狭き門」(713)、「羊の皮をかぶった狼」(715)などはイエスの山上の説教からの引用です。

 

イエスはよく人間の本当の幸せとは何か、神の国(救い)とは何かという話をしました。当時の人も今の人と変わりなく、多くの人が生きることに疲れ、慰めといやしを求めていました。そして、多くの人がイエスの言葉に驚き、感動、慰めを覚え、その言葉を聞こうとして、イエスのいるところに押し寄せました。イエスは様々な話をしましたが、ガリラヤの山の上で人々に語った「山上の説教」はとても有名です。イエスは神を「父」と呼び、人間の不幸を幸福に変える愛の神だと語っています。

 

 イエスは「何を食べようか」、「何を着ようか」と悩み続ける人々に、「空の鳥」、「野の花」を見るように告げました。空の鳥を養い、野の花を装う神がおられるのだから、思い悩まずに、一日一日を精一杯生きて、神の国を求めるように教えました。

 



 山上の説教教会とバナナ畑



 ギュスターヴ・ドレ「山上で説教するイエス」油彩・画布130 x 196 cm 個人蔵



ロセッリ「山上の説教」システィナ礼拝堂 ヴァチカン ROSSELLI, Cosimo Sermon on the Mount 1481-82 Fresco, 349 x 570 cm Cappella Sistina, Vatican


 ガリラヤ湖沿岸の村カファルナウムはイエスが宣教の拠点としたところでした。そこには今、3つの教会があります。ガリラヤ湖を見渡す山の上には「山上の説教」教会があります。

 

 ほとんどの人がイスラエルにはツアーで行きますが、ハリー・シンはイスラエルに行ったときも一人旅でした。日程の都合上、カファルナウムには安息日の始まる金曜日の午後2時あたりに到着したので、帰りの交通機関は全く期待できない状況でした。宿のタイベリアまでは15km、歩いて覚悟で帰る3つの教会を巡ることにしました。

 

ガリラヤ湖沿岸の2つの教会に行き、(1つはイエスが5つのパンと2匹の魚で5千人を養ったことを記念する教会、2つ目はイエスがペトロに天国の鍵を託したことを記念する教会)、徒歩で山上の教会を目指しました。雨が降った後でぬかるむ中をバナナ畑の中を歩いてどうにか山上の教会にたどり着きました。いい眺めです。もちろん、観光客はみんなチャーターバスや自家用車で来ていました。

 

 街灯のない夜道は真っ暗で、空の月明かりとたまに通る車のヘッドライトだけが光るものでした。車が通るたびに初めてのヒッチハイクを試みましたが、イスラエルの安息日の夜に止まってくれる車はありません。1時間半ほど歩いたときに、1台の若いカップルの車が止まってくれて、わざわざタイベリアの宿まで送ってくれました。ありがたいことにわたしのために、わざわざ引き返してくれたそうです。「よきサマリア人」ならぬ、よきイスラエル人でした。

 



 山上の説教教会(正面)



 夕暮れのガリラヤ湖

 翌日は宿で知り合ったユダヤ人とガリラヤ湖で釣りをしました。