38 旧約38 王妃エステルはエステの語源?! Queen Esther and Esthetic!?

 

エステルは答えた。「その宿敵とは、この邪悪なハマンです。」ハマンは王と王妃の前で恐れおののいた。(エステル記7:6

 

And Esther said, "The adversary and enemy is this wicked Haman!" So Haman was terrified before the king and queen. (Est 7:6)

 

 インドからエチオピアまでの127州を支配する、ペルシャ帝国のクセルクセス(アハシュエロス)王の治世のことです。王は首都スサで、半年間にも渡る酒宴を開きました。そして、王は酒宴の最後に王妃ワシュティを呼び寄せ、人々に彼女の美しさを披露しようと考えましたが、王妃はそれを拒否しました。怒った王は、彼女を王妃から退位させました。しばらくして、侍従たちの勧めもあり、王は国中から、教養のある多くの美しい娘たちを集めて、その中から新しい王妃を選ぶことにしました。

 彼女たちは、王の前に出る前に、
1年間も美容と教育に時間を費やさねばなりませんでした。その美人たちの中に、ユダヤ人モルデカイの養女エステルがいました。彼女は最も美しく、慎み深く、教養もあったので、誰からも好かれ、王も彼女を愛して、新しい王妃としました。(エステティックの語源はエステルからと言われます。)

 

 最も位の高い大臣にアガク人ハマンという人がいました。人々は、ハマンを恐れて、その前にひざまずいて敬礼しましたが、ユダヤ人であるモルデカイは人間を礼拝するような作法はしませんでした。それに怒ったハマンは、モルデカイだけではなく、ユダヤ人を全滅させようと陰謀を企てました。ハマンは、ユダヤ人は王に従わない頑迷な民族だと虚偽を並べて、ユダヤ民族を全滅させる命令書を取り付けました。そして、くじ(プリム)を引いてその決行日をアダルの月13日(太陰暦)に決めました。それを知ったモルデカイは、民族を救うために、エステルに懇願しました。


「このときのためにこそ、あなたは王妃になったのです。」

 

暗殺を恐れたペルシャの法では、たとえ王妃でも王に呼ばれることなしに、王の元に行くことは死罪の罪でした。しかし、エステルは命がけで王の前に出ました。突然の訪問に驚いた王は彼女を赦免し、その願いを聞きました。彼女は王とハマンの2人を酒宴に招くことを願いました。酒宴の席でエステルはハマンの悪事を暴き、自分とその民族をハマンが滅ぼそうとしていることを訴えました。激怒した王はハマンの処刑を命じました。ハマンがモルデカイを殺すために用意した処刑台で、ハマン自身が処刑されました。そして、ハマンの代わりに、モルデカイが大臣に任命され、ユダヤ人を滅ぼす命令は取り消されました。そのことを記念して、アダルの月の14日(3月頃)はユダヤ人の救いを祝うプリムの祭となりました。

 

 

 

 ティントレット「アハシュエロス王の前のエステル」1547-48年 油彩・画布 207.4 x 273 cm 王室コレクション ウィンザー TINTORETTO Esther before Ahasuerus 1547-48 Oil on canvas, 207,4 x 273 cm Royal Collection, Windsor

 

死を覚悟したエステルは王の前に出て気絶寸前です。

 

 テオドール・シャセリオー「エステルの化粧」1841年 油彩・画布45.5 x 35.5 cm ルーヴル美術館 パリ CHASSÉRIAU, Théodore The Toilet of Esther 1841 Oil on canvas, 45,5 x 35,5 cm Musée du Louvre, Paris

 

 ヤン・ビクトルス「エステルとアハシュエロス王の酒宴」1640年代 油彩・画布 170 x 230 cm カッセル国立美術館 VICTORS, Jan The Banquet of Esther and Ahasuerus 1640s Oil on canvas, 170 x 230 cm Staatliche Museen, Kassel