「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の第10章「The Marauder's Map(忍びの地図)」に、三本の箒というパブでホグワーツの教師陣と魔法大臣コーネリウス・ファッジ、パブの女主人マダム・ロスメルタがシリウス・ブラックについて話すのをハリーが盗み聞きするという場面があります。
そこでハグリッドが、ジェームズとリリーの死後、生き残ったハリーをハグリッドが助け出そうとした時にシリウスが現れ、ハリーを渡して欲しいと言ってきたという話をします。
ハグリッドの説明によるシリウスの台詞はこうです。
"Give Harry ter me,Hagrid,I'm his godfather,I'll look after him -"
「ハグリッド、ハリーを僕に渡してくれ。僕が名付け親だ。僕が育てるーー」
この部分を読んだ時、もう胸がはち切れそうでとても苦しくなりました。
ここは、ダンブルドアの命令でハグリッドが駆けつけていなければ、危うくハリーがシリウスの手に渡り殺されていたに違いないという、シリウスの悪印象を読者に植え付ける場面です。
はるか昔に初めて日本語訳を読んだ時には、おそらく私もシリウスに対してなんて白々しい奴だと思い、ハグリッドがハリーを助けてくれて良かったと安堵したと思います。
ところがどっこい、再読という形で新たに物語と向き合ってみると、なんとも切ない場面に早変わりです。
まして英語だと、また受ける印象が違います。
ジェームズとリリーの死後、シリウスは、友を失った悲しみに打ちひしがれながらもハリーの名付け親としての責務を果たそうとハグリッドに懇願したのだと思います。
ダンブルドアの命令だと言われなければ、力づくでもハリーを奪い取っていたかもしれません。
ですが、シリウスもダンブルドアの命令とあらば逆らいきれず、ましてハリーの叔父叔母が引き取るのであれば、名付け親と言えども血の繋がりがない自分は引き下がるしかないと思ったのでしょう。
せめて自分に出来る事をとの思いから、お気に入りのバイクを差し出したのではないでしょうか。
ハグリッドは、シリウスがもうバイクが必要ないと言ったのは逃亡の際に目立つからだろうと推測しています。
でも私には、大親友であるジェームズと乗り回した思い出の詰まったお気に入りのバイクだからこそ、ジェームズ亡きあとはもうあっても仕方のないもの、かえってジェームズを思い出させる辛い存在になってしまうから手放そうとしたのだと思えます。
そして悲しいかな、間もなくシリウスは真の裏切り者ペティグリューにはめられて冤罪でアズカバン送りにされてしまいます。
シリウスがアズカバンで過ごしている間、ハリーはお馴染みダーズリー一家にいじめられながら成長していくわけです。
そこで、もしもジェームズとリリーの死後、無事シリウスがハリーを引き取っていたらどうなっていただろうと考えました。
名付け親として大親友のひとり息子を預かったわけですから、それはそれは大切に育てたろうと思います。
両親を失ったことや、母親と呼べる存在がいないことの寂しさを決してハリーが味わうことのないよう、溢れんばかりの愛情を持って接したに違いありません。
ハリーの容姿がジェームズそっくりであることを喜んだでしょうし、ジェームズと似ているところ、ジェームズとは異なるところすべてを肯定して受け止めたのではないでしょうか。
それから、ハリーにいろんな経験をさせるため、いろんな物を買ってあげたり、いろんな場所に連れて行ってあげたり、さまざまなことに挑戦させたりしたと思います。
父として、友として、時に優しく、時に厳しく。
ただ甘やかすのではなく、善悪の判断がきちんとつくようにしつけ、子どもといえども真剣に向き合ったのではないかと思います。
もしシリウスが保護者であれば、ハリーがホグワーツ入学後、スネイプ先生からのいじめにも黙ってはいないでしょう。
ハリーからスネイプ先生のことを聞くたびに学校に押しかけ、スネイプ先生に殴りかかっていたかもしれません。
そしたら余計にハリーがいじめられそうですが、少なくともハリーには、普段から手紙や贈り物をくれたり、休暇には温かくハリーを迎えてくれる家族がいるわけですから、学校生活も一層楽しいものになったことでしょう。
でも、そうではなかったからこそ、今のハリーとシリウスがあるわけです。
お互いに辛い十数年を生きてきたからこそ、晴れて真実が明かされた時の喜びと感動もひとしおだったんですよね
それにしても、辛いです。
シリウスの運命が。
そしてハリーの運命が。
せめてほんの短い間でも2人が家族として一緒に暮らせたら良かったのに・・・。
ハグリッドの話からこんなに想像、いえ妄想が膨らむとは思いもしませんでした。