映画「ボレロ 永遠の旋律」(アンヌ・フォンテーヌ監督・GAGA)おすすめ! | 西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

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鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA(メンサ)会員/IQ149(WAIS-Ⅲ)、日本抗加齢医学会指導士、実用イタリア語検定3級。趣味は読書、芸術鑑賞、小説執筆(2019年神戸新聞文芸年間賞受賞)、スイーツめぐり、香水づくり。

映画「ボレロ 永遠の旋律」(アンヌ・フォンテーヌ監督・GAGA)

 

シネ・リーブル神戸@神戸・元町で観賞しました。

 

●作曲過程ーー荘子に出てくる蟹の絵の話(※)を思い出しました。音楽でも小説でも「待つ」「できない自分に耐える/できる日が来ると信じる」ことは大事。また作品が作曲家にプレッシャーを与えていくあたりもすごく共感できました。

 

(※)

「荘子の数多くの徳目の一つに、画の巧みさがありま した。王は彼に蟹の画を求めました。荘子は五年の猶予と、また十二人の召使いを備えた屋敷が必要だと言いました。5年後、画はまだ描き始められていません でした。「さらに五年、御猶予を頂きとうございます」と荘子は言いました。王はそれを許しました。こうしてまさに十年が過ぎさろうとしたとき、荘子は絵筆 をとると、一瞬のうちに、ただの一筆で一匹の蟹を描き上げました。かつて誰一人、目にしたことがないほど完壁な出来栄えの蟹でした」。(イタロ・カル ヴィーノ『アメリカ講義』米川良夫・和田忠彦訳、岩波文庫、岩波書店、2012:104-105)

 

●ラヴェルは同性愛者でしたが、女性に助けられて生きてきたことがよく分かりました。そう言えば、ボレロの作曲を依頼したのも、女性バレリーナのイダ・ルビンシュタインでした。映画の随所に母親が出てきますが、ラヴェルは無意識に、出会う女性に「自分の母親」の姿を求めていたのかもしれません。ちょっとフロイトの精神分析っぽい見方ですが、そういう目で見ると、ルビンシュタインの官能的な舞台演出にラヴェルが激怒したのも分かるのです。娼館の中で艶かしく踊るイダ・ルビンシュタインは、まったく母親っぽくないからです。

 

●女性と言えば、ラヴェルは芸術の女神ミューズに愛されすぎた、近づき過ぎてしまったという感想を持ちました。距離感がいつも適当でなかったーー背中を向けてばかりで、たまに振り向いてくれたと思ったら近すぎて顔が見えない。そして芸術家を粉々にしてしまう。ラヴェルも「ボレロ」の作曲家という一発屋めいた評価に苦しめられることになります。ハチャトゥリアンも「剣の舞」の作曲家という評価を嫌がっていたそうです。