6月5日、氷室神社に参りました。



奈良県奈良市春日野町、奈良博の道路の向い側にあります。



Wikipediaより概要

【 由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。和銅3年(710年)7月22日、元明天皇勅命により、吉城川上流の春日山にある月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)たのに始まるという。

春日野にある氷池(現・奈良春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜一帯)で厳寒に結氷させた氷を氷室(荒池・鷺池を望む浅茅ヶ原一帯にあり、春日氷室、平城氷室、御蓋氷室などと呼ばれた)に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が行われると、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた。

奈良朝7代、70年余りの間はこの制度は継続したが、平安遷都後は廃止され、貞観2年(860年)2月1日に清和天皇の時代になって現在地に奉遷され、氷の作り方を教えた闘鶏稲置大山主命の他、天皇に氷を始めて献上した額田大仲彦命と氷を献上された大鷦鷯命の左右2神を併せ三座となった。社殿が建立されたのは建保5年(1217年)とされている。

また、13世紀には日本三楽所のひとつである南都楽所が置かれ、奈良における舞楽の一大拠点へと成長していき、神職も楽人が務めるようになった。

春日社の別宮に属し、式年費用や営繕費、祭礼費などは春日社、興福寺朱印高2万石、および社頭所禄、三方楽所料2千石などの一部によって賄われた。

明治時代となり神仏分離が行われると、興福寺との関係は断たれた。1870年(明治3年)には南都楽所が廃止され、他の二つの楽所と合わさって宮内省雅楽部(現・宮内庁式部職楽部)が成立している。

また、村社に列せられ、神饌幣帛料供進社になっている。

現在は、氏子と冷凍氷業界の奉賛により維持される形になっている。】



以前にも参りました。

2020年3月22日



写真のみで。