4月10日、大雄名山萬壽常照皇禪寺に参りました。

京都市右京区京北井戸町丸山にあります。

京都からJRバス、周山で京北ふるさと公社バスに乗り換えて参りました。
本数が少ないので滞在時間が30分位でした(^_^;)


国指定天然記念物の九重桜を見に参りました。
桜は生憎前日の雨風でちょっと薄くなっていました(T△T)
御車返しの桜はまだ咲いていなかったですね。
…肝心の本命の九重桜を撮ってませんでしたΩ\ζ°)チーンorz


境内の桜についてWikipediaより

【 ・御車返しの - 一重の桜と八重の桜が同時に咲く。後水尾天皇が当寺に行幸した際、何度も車を返してご覧になられたという。

・九重桜(国指定天然記念物) - 光明天皇が兄の光厳法皇を当寺に訪ねた際に御所から持ってきたもので、光厳法皇のお手植えである。樹齢650年。

・左近の桜 - 岩倉具視によって御所から株分けされたものという。】



拝観料は¥500。


Wikipediaより

【 臨済宗天龍寺派寺院山号は大雄名山(だいおうめいざん)。本尊釈迦如来。詳名は大雄名山万寿常照皇禅寺という。光厳法皇ゆかりの寺院である。

歴史

京都市北郊の山中に位置している。当寺の開山は南北朝時代北朝初代の天皇となった光厳法皇である。光厳上皇は観応3年/正平7年(1352年)に、大和国賀名生にある南朝後村上天皇行宮にて落飾(出家)して法皇となり、禅宗に帰依した。

帰京の後、貞治2年(1363年)ごろに丹波国山国庄を訪れると、同地にあった成就寺という天台宗の無住の寺に入り、これを改めて新たに開創したのが常照皇寺の始まりである。また、常照寺とも呼ばれていたようである。

光厳法皇は自ら庭園を作庭したほか、周辺の景色を庭に見立て、寺の裏山を猿帰嶂、滝を白玉泉、山全体を万樹林などと名付けて十勝を選定したという。法皇はその2年後に示寂し、当地に葬られた。

その後は、後花園天皇によって境内裏山の万樹林や小塩田260石等を寄進され護寺されたが、戦国時代天正7年(1579年)に明智光秀による合戦に巻き込まれて焼失し、一時衰退した。

江戸時代になって後水尾天皇により復興され、徳川秀忠から寺領として井戸村の50石を与えられた。天明8年(1788年)の時点で末寺7か寺を有していた。

1869年明治2年)11月、神仏分離によって北野天満宮にあった舎利塔が除かれることになり、当寺に移されている。常照皇寺伝存の舎利塔は黄銅製四角宝塔であり、細部は全く建築的に作られている。木製の台座(高さ40ミリ、上面330×338ミリ)の上に据えられ、その上に四隅に足の付いた基台は高さ95ミリ、上面30×30ミリ、さらに基壇の高さ48ミリ、基壇から軒丸瓦の上端まで221ミリ、木製の台座を除くと相輪先端までの総高795ミリである。木製の台の裏面には「舎利殿之台/法眼禅覚/新造之」とあり、塔を納入する木箱の底面には「北野宮内陣/舎利殿之箱/元禄十四辛巳年/三月十二日造之/神事奉行法眼禅覚」と記されている。全体として(北野天満宮の)元禄の社殿修造の際に作られたものと考えられている




写真のみで。