2020年3月22日、手向山八幡宮(タムケヤマハチマングウ)に参りました。


奈良県奈良市雑司町にあります。



Wikipediaより由緒

【 旧社格県社。手向山神社とも。奈良市街東部の手向山麓に位置。東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)がある。手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。

歴史
天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請された。当初は平城宮南の梨原宮に鎮座したという。梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊宮跡庭園がその跡ともいわれる。後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討で焼失する。

文治4年(1188年)に東大寺大勧進職の重源によって仮殿が建てられ、建久8年(1197年)に社殿が再建される。その後、建長2年(1250年)に北条時頼によって境内地が東大寺千手院の跡地である現在地に移された。

江戸時代元禄4年(1691年)に本殿が再建されている。

創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治神仏分離の際に東大寺から独立し、県社に列せられている。

祭神

主祭神 - 応神天皇姫大神仲哀天皇神功皇后仁徳天皇。】


写真のみで。