2014年6月20日に岩船寺(ガンセンジ)に参りました。


京都府木津川市(ギヅガワシ)加茂町(カモチョウ)岩船上ノ門にあります。


JR加茂駅から木津川市コミュニティバスに乗車、岩船寺(前?)バス停で下車、片道300円でした。
コミュニティバスは去年の10月1日から予約制の乗り合いタクシーになる予定みたいだったので、バスは無くなっている可能性があります。


Wikipediaより由緒

【 札所等 仏塔古寺十八尊 第4番
関西花の寺二十五霊場 第15番
神仏霊場 京都49番
文化財
三重塔、十三重石塔、五輪塔、石室、木造阿弥陀如来坐像、厨子[ズシ]入木造普賢菩薩像(以上は国の重要文化財)
真言律宗[シンゴンリッシュウ]の寺院である。
山号は高雄山(コウユウザン)。
院号は報恩院。
本尊は阿弥陀如来。
開基(創立者)は行基[ギョウキ]と伝える。
アジサイの名所として知られ「アジサイ寺」とも呼ばれる。
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(トオノ)の里に位置する。
この地区は行政的には京都府に属するが、地理的には奈良に近く、文化的にも南都の影響が強い。
近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺[ジョウルリジ]がある。
岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。
当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた。
岩船寺の創建事情は明らかでないが、行基による創立を伝え、前身寺院は現在地の南方の鳴川(現・奈良市東鳴川町)にあったという。
近世の縁起によれば、岩船寺は奈良時代、聖武天皇の発願により行基が鳴川の地に建立した阿弥陀堂がその前身であるという。
創建年次については天平[テヲピョウ]元年(729年)とも天平勝宝元年(749年)ともいう。
鳴川にはその後空海(弘法大師)が善根寺(鳴河寺)を建立。
空海の甥であり弟子でもあった智泉[チセン]が、嵯峨天皇の皇子誕生を祈願して、善根寺の東禅院灌頂堂[カンジョウドウ]に報恩院を建立したという。
その報恩院を弘安2年(1279年)に現在地に移し、同8年(1285年)に落慶供養を行ったのが岩船寺であるという。
以上の伝承はそのまま史実とは考えがたいが、『弘法大師弟子伝』(貞享元年・1684年成立)には、大同[ダイドウ]年間(806-810年)、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子[カチコ]が皇子の誕生を祈願して報恩院を建立し、智泉が呪願(願文を読む僧)を務めたとある。
岩船寺本尊阿弥陀如来坐像の像内には天慶[テンギョウ]9年(946年)の銘があるが、この像が当初から岩船寺の本尊であったという確証はない。
「岩船寺」の寺号の存在を示す最も古い記録は、寺の西方にある岩船不動明王磨崖仏(通称一願不動)の銘記で、そこには弘安[コウアン]10年(1287年)の年記とともに「於岩船寺僧」の文字がみえる。
この年号は、上記寺伝にいう岩船寺落慶供養の年(弘安8年・1285年)に近く、鳴川にあった「報恩院」がこの頃現在地に移った可能性を示唆している。
現存する三重塔は室町時代の嘉吉[カキツ]2年(1442年)の建立である。
江戸時代には浄瑠璃寺と同様、興福寺の末寺であった。】


拝観料は400円でした。


●山門

140620_093112.jpg

●たぶん厄除け地蔵菩薩

140620_093402.jpg

●手水鉢か?不明

140620_093436.jpg

●石室(重要文化財)

140620_093534.jpg
140620_093454.jpg

・石室不動明王立像(重文)

Wikipediaより石室について
【 花崗岩製。
奥壁には不動明王像を刻み、手前左右に2本の角柱を立て、これらで寄棟屋根を支える。
応長2年(1312年)の銘がある。】

●本堂

140620_100716.jpg
140620_100739.jpg

・木造阿弥陀如来坐像(重要文化財/平安時代)
・木造四天王立像(鎌倉時代)
・厨子入木造普賢菩薩騎象像(重要文化財/平安時代)


Wikipedia本堂について
【 昭和63年(1988年)に再建された建物で、平安時代の阿弥陀如来坐像が安置されている。】

Wikipediaより木造阿弥陀如来坐像について
【 岩船寺の本尊で、定印を結ぶ阿弥陀如来像である。
本堂に安置。
像高284センチ。
明治期の修理の際に、像内に多数の墨書が発見され、その中に「□□九年丙午九月二日丁丑」と読める墨書がある。
年号の部分は判読不能だが、「□□九年」が丙午、「九月二日」が丁丑にあたるのは天慶9年(946年)であることから、同年の作と判明する。
10世紀の在銘基準作例として貴重である。
像高2.8メートルを超す坐像の頭・体の根幹部を一材から彫出する。
太造りの体躯や一木造の構造は平安初期彫刻に通じる要素だが、衣文は彫りが浅く図式的な平安後期の作風に近づいており、平安前期から後期への過渡期に位置する像である。】

Wikipediaより厨子入木造普賢菩薩騎象像について
【 もと三重塔に安置。
像高39cmの小像で平安時代後期の作である。】

岩船寺に室町時代の2臂の弁財天が鎮座されていましたよ。
手に鍵と宝珠を持ち、頭の飾りは豪華。
阿弥陀様は平等院より107年古く、光背(コウハイ)は舟形ではないとのこと。

境内です。

140620_093611.jpg
140620_101217.jpg


へ続く。