3日、大枝(オオエ)神社に参りました~。


京都市西京区大枝沓掛(クツカケ)町、山陰街道沿いにあります。

小さい神社です。


案内板より由緒

【 康保(コウホウ)四年(967)施行の『延喜式』には神社の名前として「乙訓郡(オトクニノコオリ)大井(オオイ)神社」と記載されている。
現在の氏神は高美計(タカミケ)神である。
この地の先住民である大枝氏の祭祀神といわれている。
はじめは、聖徳太子の幼児の像が祀られていたところから千児(チゴ)明神と称していた。
現在、児子(チゴ)神社はこれより東方、大枝塚原町の地にある。】

拝殿です。

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本殿覆屋(オオイヤ)です。
本殿は写真では見えていません。

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御祭神
・高美計神

摂・末社(ネット調べ)
●山の神社
●稲荷社
●八幡宮
●天満宮
●不動明王
●神宮遥拝所

前に大江山について書きましたが、大枝山の麓らへんが大枝の一帯です。
大枝神社はそこにあります。
乙訓郡大枝郷を古代の豪族の土師(ハジ)氏が本拠地としていました。

大枝には桓武天皇の生母である、高野新笠(タカノノニイガサ)の大枝陵があります。
高野新笠の母方は土師氏です。
大枝陵に、漫画家の永久保貴一さんと寺尾玲子さんがいらっしゃっていました!
また一度参ってみたいです(^o^)

ちなみに永久保さんの漫画によると、桃山にある桓武天皇柏原(カシワバラ)陵らへんは土師氏の土地だったようです。
深草は元々、土師氏、紀(キ)氏、久我(クガ)氏が入っていたようで、その後に秦氏が勢力をのばしてきます。

大枝氏は土師氏の分派で、桓武天皇から姓を賜っています。
菅原氏も土師氏の分派です。
大枝氏は866年に大江と名を改めています。
枝という字が折れやすいので、あんまり良くなかったようですね~(^o^;)

大枝からは長岡京が近いです。
長岡京らへんも土師氏の土地だったんですかね~?
大枝の隣の大原野らへんは秦氏がいた土地だったような気がしますが(~_~)
豪族がどこにいたとか、よくわかりません(;^_^A