今朝は、朝からせっせと料理をして、家事をこなし、足らないものの買い物へ行った。

母から買ってきてと頼まれていた、トイレットペーパー2袋を渡し、ランチへ行った。


母は頑張って11月から耳鼻咽喉科へ通ったのだが、結局は難聴🦻が改善されることもなかった。

母に、『補聴器を作るために通ってみたらどうか』と提案していたのだが、結局は無駄な治療に時間を費やし、終了したようだ。


私と母。

もうスムーズに会話ができることがない。

意固地に、聞こえてないことを、まったく自覚しようともしない。反論さえしてくる。


《会話のキャッチボール》

若くても、聞こえていても、会話のキャッチボールが出来ない人もいる。

これは、心や個性が絡んでくる。


身体的に聞こえておらず、会話のキャッチボール出来ない場合、

これは若い人なら、自然と人との関わりも多いので、何らかの策を講じることが多いだろう。

手術したり、補聴器をつけたり。


でも、老人性難聴の場合、どうだろう。

何かしら人の集まりに顔を出さない限り、老人は孤独だ。

だから、高額だからか面倒だからか補聴器などをつけず、

テレビのボリュームを大きくしたり、相手側に頼る。

うちの母の場合は、私以外と長く話すことがない。

私以外の家族は、母に時間を割くことがない。

それも分かっていて、私は母に会う回数を多くしている。

が、これほどまでに、会話にしようとした文章が、空中を彷徨うのも最悪なんだよね…悲しい

逆に、こんなに聞こえておらず、ボケないって凄いんだけどなびっくり


私の為にも、補聴器を付ける選択肢をしようとしない母の心ってどうなの?


私も母も、そんなに人好きな人間ではないかもしれないけど、私にも「近寄らないでいいよ」って言ってるようなものなんだよね。


もう何年も耐えてきたけど、私はもともと声も大きくないし、声を張り上げるにも年齢的に

疲れたよ。


どうしてこうも老人になると、人に優しくできなくなるのだろう。

いつかこの答えがわかる日が来るのかもしれないけど。