シックなイラストに描かれる人物やファッション誌に出てくるスーツ姿のモデルは、よくタバコを手に持っていたり、吸っていたりする。そんなタバコをよく見るのは灰色や紺を基調とした落ち着いた雰囲気の中、きっちりとスーツを着こなした乱れのない、後ろに流された髪がかっこいい男性の写真の中であったり、逆に少しアンティーク基調の背景にゆったりとたたずむ、デニムがよく似合う色っぽい女性の絵の中だったりする。いずれにしても、人物に動きがあまり見られない静かな絵や写真の中で、指の間に軽く挟まれた細いタバコからの煙がふわりと漂う様子にはどこかミステリアスな雰囲気を醸し出している。

絵や写真など、静止したものにタバコのかっこよさの魅力は止まらない。様々な映画やアニメーション、小説や漫画においても、タバコを吸っている人物は大概大人っぽかったり、謎めいたりしていた。例えば、私は映画で少しの白髪と程よい顔のしわが素敵なスマートな男性が静かにタバコを吸うシーンなどを見てよくわからないなりに「かっこいい」と思ったことは幾度もある。逆に、漫画などで少し言動がだらしないけれどいざとなったときには誰よりも頼りになる姉御さんキャラが、戦いの前に乱暴にタバコの煙を吐いたりするシーンなどを見て、あこがれを抱いたこともある。よく考えてみると少し煙が出ているだけでタバコを吸う動きそれ自体がかっこいいわけでも何でもないのだが、その少しの煙が漂う様子がとても印象に残って、魅惑的だったのだ。

 

しかし、このような率直な印象は私が小学生だったころの話である。写真やイラスト、映画や漫画などで美化されて描かれるタバコと、それを吸う人物の大人っぽさを前に、そのころの私は純粋に魅了されていたのだ。「大人になってから」でしか手にできないタバコを吸って、映画で出てくる渋いアクションスターのように、微笑を浮かべて静かに煙を吐き、キザなセリフをつぶやく。それが出来たらどれほどかっこいいことか。いつしか自分の中でタバコには「大人」という手の届かない憧れの対象の象徴となっていたのだ。

そこまで憧れを抱いていたなら、その熱が冷めていたとしても二十歳、いや、一八歳になった時にでも試してみそうなものだが、二十歳を過ぎ、二十一歳の誕生日が近づく今もタバコを吸っていない。健康に気を配り、あえて控えているわけでも、両親や周りの大人に固く禁じられているわけでもない。ただ単純に、もう十年以上も前に吸ったことがあり、その時に懲りただけである。

 

最初は実際のタバコではなく、おままごと用の疑似タバコだった。近所に住んでいたそのころの友人に教えてもらった疑似タバコは少し背の高い茂みなどに絡みつく一種の植物の蔓が枯れたもので、干からびると細い蔓の中が空洞になるものだった。本物のタバコとは比べ物にならないほど細く、せいぜい爪楊枝程度の太さだったが、十センチ程度の長さの物を切り、指の間に挟めば十分タバコ気分が味わえた。なにより、火が点いてもさほど易燃性の低いその蔓は一度先を点火し、炎を息で消すと熱を持った炭のように赤く、ゆっくり燃えた。そして、燃えている先とは反対側を口に咥え、強めに吸うと空洞を通して燃えている先の煙が口に入り、まるで本当にタバコを吸っているかのように煙を吐き出せるのである。

タバコそれ自体以前に、タバコを吸う動作と煙を吐くことが大事だった幼い頃の私と友人にはそんな疑似タバコで十分だったし、満足していた。そもそも、その頃私はなぜ大人がわざわざタバコを吸っていたのかも両親がなぜタバコはいけないと言うのかも考えたこともなかった。かっこよければよかったのであり、大事なのはスマートに指の間に挟めるか否かあり、ドラゴンのように煙を吐けるかどうかであった。なので、疑似タバコを吸うときは器用に右手の人差し指と中指の間に挟み、口の中にたっぷり煙をためて十分たまったらタバコを口から離し、一気に吐き出すことを何度も繰り返して遊んでいた。都合のいいことに、本物のタバコと違い、疑似タバコを母が知っても怒ることはなかったし、原材料である蔓は雑草だけに不足することはなかったので、点火するためのマッチさえあればいつでもできた。別に一日中吸って遊んでいるわけではなく、ほんの数分遊んだ後に飽きるようなものだったので健康に大きな被害を及ぼす物でもない。それでも、結局は疑似タバコでしかなかったので、本物のタバコに対する憧れが消えたわけではなかった。

 

そのうち、本物のタバコに対しての好奇心が勝って、周りの大人が道でポイ捨てしていたタバコの吸い殻で比較的長くきれいなものを選んで吸ってみることにした。私か友人、どちらから言い出したのか今となってはわからない。しかし、ある日、見つかったら母に怒られるという罪悪感と大人しか吸えないタバコを吸うという高揚感の間に揺れる中、友人と隠れて咥えて吸ってみたのである。とはいっても、タバコのフィルターが燃えるほどぎりぎりまで吸う近所の貧乏性なタバコ依存者達の吸い殻で、比較的綺麗なものを選んでも、ほんの二、三回思いっきり吸えば終わりである。しかし、タバコを思いっきり吸って、煙を口いっぱいにためて一気に吐き出すことが目的だった私と友人には、それで十分で、疑似タバコとは比べ物にならないほどいっぱい煙を吐けば二人ではしゃいだ。それだけで、少しだけ大人に近づけたような気がしたのだ。それから、何度か比較的綺麗な吸い殻を見つければ友人と二人で吸って煙を吐き合うようになった。タバコによる気分の高揚などを求めていたわけではなく、ただ単に疑似タバコより本物の方がやはりかっこいいと言った単純な理由だ。

 

そんなタバコを吸う遊びをしなくなったのは、奇跡的な偶然によるものだった。ある日、いつものように友人と遊んでいると、道に一本だけ、新品のタバコが落ちていたのである。私が住んでいた地域は、いわゆる「貧困地域」で、新品のタバコが落ちていることはまずあり得ない。なんせ、周りの大人はタバコを箱ではなく、数本単位で買い、吸う時はフィルターが燃えるまで吸って決して無駄にしないような人たちである。そんな人たちが、新品のタバコを一本落とし、気づかないことはない。それにもかかわらず、落ちていたことは、どれほど珍しいか、幼い私でもわかった。実際、あの一回以来、タバコが一本丸ごと落ちていたところを見たことはない。そんなレアものを見つけたときの私と友人は、まるで宝を見つけたかのようにはしゃいだ。

タバコが好きだったとは思わないのだが、誰もまだ吸っていない新品なタバコはとても特別に思えて、そんなタバコに私と友人が火を点け、吸うという響きがとても大人のように感じた。それは友人も同じだったようで、二人ですぐに人に見つからない物陰に隠れ、常備してあったマッチを使って火を点けた。いつもは先が焦げた吸い殻に再度火を点けていたのが、その時のタバコは先がもちろん焦げていなくて、少しもったいない気もした。火を点けたら、二人で一回ずつ吸うと、思いっきり煙を吐いて遊んだ。何度か吸って、タバコは思いっきり吸うと先が一機に燃え、少し短くなるということを知ったが、二人で半分も吸い終える前に煙の苦みが口にたまって楽しさよりまずさが勝ってしまった。確かに新しいタバコに火を点けるのは何か特別な感じがして、思いっきり煙を吐いて遊ぶのは楽しかったが、苦さに飽きてくると冷静になってきて、タバコを吸っているという優越感よりも「母に怒られるのではないか」という不安が強くなった。

 

あの日友人と見つけた新品のタバコは結局最後まで吸わなかった。煙は苦いだけでおいしくなかったし、新品のタバコを一度吸ったことにより、「思ったより大人になった気がしない」と悟り、憧れという名の熱がすっかり冷めたのである。その数年後、「タバコは煙を肺まで送り込んで味わうものだ」と知ったが、あの日のタバコがあまりにまずかったことから、興味は湧かなかった。何より、その頃になるとタバコをかっこよさの象徴として見なくなっていたことが大きい。なんせ、周りをよく見てみるとタバコを吸っている人がかっこいいとは限らないことに気づき、むしろタバコを吸っている人はその分煙臭いことが多く、自分の「理想の大人像」とは程遠かったのだ。

タバコに限らず、年齢を重ねるにつれ「大人」の象徴だと思っていたものが実際はただの思い込みであったことに年々気づかされている自分がいる。そして、大人になりたくて仕方がなかった頃の私が楽しみにしていた年になった今、幼い頃思い浮かべていた「大人」に近づいたとはとてもじゃないが思えない。あのころから十年以上もたつのに、あれほど単純に思い浮かべることが出来た「大人」はどんどんよくわからなくなるばかりで、今更「大人って何だろう」と考える始末である。

タバコを吸えるようになったら、お酒を飲めるようになったら、車を自分で運転できるようになったら「大人」だと思っていたのに、昔吸ったあの一本のタバコは私を決して「大人」にしてくれなかった。今ではぼんやりと「自分で稼ぎ、自分の責任は自分でとれる人」などが「大人」のように思えるが、こちらも仕事をはじめ、自力で生きていくようになるとまた、「本当に大人なのだろうか」と疑問に思いそうなところだ。結局何度も悩み、「大人」を目指し、そこに行きつくと「何か違う」と、まだ悩みなおすのだろうか。すると、行きつく先はどのような「大人」だろうか、気になるところである。