私のフィリピンの実家には裏庭のような場所がある。裏庭、と一応いうが、正直なところなんと表現すればいいかわからない。庭には柵がないため、そのまま上がっていけばほんの数分で山道だし、「庭」と言えるほど整っているわけでもない。見た目は小さな裏山という方がしっくりくる。もちろん、山がすべて庭というわけではないが、どこまでが誰の土地か、あまりはっきりしていないのだ。時には竹でできた柵を、近所の方が立てたりしているが、あまり長持ちした覚えはない。少なくとも一年経てば竹の色も変色し、二年も経てば子供の力で押して簡単に折れるほど弱い強度になる。これは幼いころ友達と勝手に柵の竹を引っこ抜き、折ってチャンバラや秘密基地つくりによく使っていたので検証済みだ。
その庭の一番大きな特徴はマンゴの大木である。真ん中にそびえたつマンゴの樹の枝は庭を覆い隠す屋根のように大きく、あたりを這う大きな根っこは地面を持ち上げたり、へこましたりしている。年がら年中夏の炎天下のような暑さでも、その木の下はいつも少し涼しく、家の敷地内に立っているため、苦手だった子たちに邪魔されずに友達と遊べた。
落ち葉の季節になると、木の下には分厚い葉っぱのカーケットがができる。それをかき集めて、勝手に家からスカーフをもってきてその上に寝転がれば一瞬で落ち葉のベッドができた。枯れ葉になるとマンゴの葉っぱはびっくりするほどよく燃えたため、ベッドに飽きたら焼き芋もした。秋という季節のない国で、少し秋らしい行事ができたのも、あの木のおかげであろう。
しかし、実は私には庭を守るように枝を広げる大きなマンゴの樹より、もっと思い入れがある木が、同じ庭にある。同じようにマンゴの木なのだが、庭の中心に立っていないし、特別に大きいわけでもない。庭の端に、控えめに立っていて、真ん中の大木と比べるとずいぶんと小さい木だった。
大きい方のマンゴの樹の幹は子供三人ほどが手をつないだらやっと囲めるぐらい太かったが、小さい方の木は幼いころの私でも抱き着いて、両手をつなぐことができる太さだった。そのころの私の肩ぐらいの高さに、丈夫な枝が一本右に伸びていて、その枝さえ登れるようになれば、簡単に上まで登れるだけの足の踏み場があった。枝はどれも比較的丈夫だったし、中には椅子のような構造をした枝もあったぐらいで、私やそのころの友人にとっては木登りに最適な木だった。
毎日、毎日飽きることなくその木を登り、そこで延々とおままごとをしたり、マンゴの実が生る季節になれば、大きなマンゴの木のほうに生っている実を一つでも落とそうと竹やりをもって奮闘したり、盗れなかったらあきらめて友人と実を指さして自分のを予約しあったりした。樹液がたまに服や皮膚に付いても気にせずに遊び、家に帰る時にはねばねばした樹液に土が引っ付き、不思議な泥の柄ができていたこともあったし、夕方まで延々とそこで遊んでいたため、木に住んでいるアリや、蚊の刺されあとがいっぱいできていたが、全く気になったことはなかった。それほどまでに、そこは居心地がよく、楽しかったのだ。私の幼少期の楽しい思い出の多くにはこの木があり、この木とともに成長したと言っても過言ではない。
そんな思い入れのあるマンゴの木であるが、木からしてみたら何もかもいい思い出ではないだろう。毎日子供が登れば事故も起きる。多くの場合、それは足場を踏み外しそうになり、小さな枝を一本や二本折る程度の小さな事故だったが、一度だけ、今でも木に謝りたいと思うような事故があった。
事故が起きたころ、私と私の友人はすっかりマンゴの木を登るのに慣れていた。どの枝が誰のかを決めていたし、どのように座れば心地がいいかも知っていた。足の下の枝が子供の手頸程度の太さでも、足の指で器用につまみながら平気で登るようになっていたため、すっかり木の天辺まで行けた。木の上で軽い居眠りもできるほど慣れ親しんでいた。すっかり「木の上でできないことはない」と思い込み、天狗になっていたのだ。そんなころ、友人が、自分の指定地だった枝をまたがり、その枝から分かれる二本の枝を両手でつかむと姿勢がちょうどバイクを乗っているときのそれになることに気づいた。そして、何よりその姿勢のまま体を大きく前後に揺らしてみると、枝も前後に揺れ、まるで本当に空を飛ぶバイクを乗っているような心地を味わえるという大発見をしたのである。
それを彼女はいち早く私にも教えてくれ、その日から私と友人は交代でその枝のバイクに乗るようになった。体を大きく揺らせば揺らすほど心地よく枝も揺れ、村を一望できる景色を見ながら口でバイク音を奏でれば気分はすっかりイケイケのバイカー。そのうち交代で乗るのすら惜しくなり、友人と二人乗りを始めた。二人で乗って体を揺らすとさらに枝は大きく前後に揺れ、乗り心地はすっかり大嵐を駆け抜ける船の船員のようだった。
毎日飽きずにその枝でバイクごっこや海賊ごっこなどをして遊んだが、終りはあっけなく来た。毎日容赦なく揺らされた枝には、私たちの知らぬ間に限界が来ていたのだ。いつものように、二人乗りで枝を大きく揺らし、葉っぱをバッサバッサとならせながら遊んでいる昼の時だった。最近さらに揺れがよくなり、よりしなやかになったようにも感じる枝の乗り心地をいつものように堪能していると、枝の根元から、何かが折れるような不吉な音が聞こえたのだ。しかし、それでもあまり問題視していなかった私たちはそのまま揺らし続け、次の瞬間、少しの浮遊感の後に、枝ごと落下していた。背筋が凍るような恐怖を一瞬感じたのを今でも明確に覚えている。なんせ、枝は村の景色を一望できるだけの高さにあったのだ。落ちたら骨の一本ぐらいは折れて当たり前だし、大けがもしそうだ。怖かったのは覚えているが、落ちたときのことはあまり覚えていない。ただ、大きな落下音の後に、恐る恐る目を開けたとき、思いのほか落下が短かったのを感じた。それもそのはずである。ちょうどその枝の三か四メートル下には家のトイレの屋根があり、ちょうどその上に枝ごと落ちたのである。
収まらない鼓動を感じながら友人と目を合わすと、互い軽い擦り傷以外は特に被害がないことを気づいた。上を見上げると、ともに落ちた枝の葉っぱの間からかつて枝が木につながっていた部分が見え、そこだけ異様に白っぽい。大きな枝が丸っこ一本折れたせいで木は不自然な形になっていて、屋根の上で鼓動も収まり、自分たちのしたことを改めて実感するころには罪悪感でいっぱいになっていた。
それから少しして、友人と二人でマンゴの木に謝り、自分たちの起こした参事をとにかく木の持ち主である近所の人に覚悟を決めて謝ることにした。もちろん私たちはこっぴどく怒られ、「もう登るんじゃないよ」と釘を刺された。母には、「木に守られたんやね」と感心され、「ちゃんとお礼を言って謝まっときや」と言われた。
私と友人はそれから一か月間、「もう二度と気を登らない」という誓いを立てて登るのを我慢した。しかし、そのうちやっぱりあの景色と木の上で感じることができる風が恋しくなり、また性懲りもなく登る毎日を再開した。マンゴの木にとってはどこまでも迷惑な子供達だっただろう。だが、私からすれば、だれよりも私たちのことを守り、遊び相手となってくれたあのマンゴの木は大事な友のようだ。
そんな庭だが、一年ほど前に最後に見たときはずいぶんと思い出の庭とは変わっていた。ちょうど大規模の台風が過ぎて、庭を覆っていた大木の枝がたくさん折れて、痛々しいほどボロボロになっていた。数年前に近所の人がその木の上に作った小さな小屋は引き飛ばされ、板が数枚残っている程度。その数日後、台風で折れた枝を近所の人たちが切り取って対処したので、絵にかいたような大木ではなくなり、ずいぶんと非対称的な形になったのは言うまでもない。
しかし、マンゴの大木はたった一度の台風で枝が折れたとしても、数年もすればその被害を忘れさせるように、成長し、より立派な木になる確信があった。確かに悲しかったが、自然が引き起こす災害は仕方がないのだ。実際、数年前に父の仕事場の近くで、何度も何度も風や災害で吹き飛ばされ、折れ、倒れたと思われるマンゴの樹を見たことがある。驚くほど大きなその樹は、地面に叩きつけられるたびにまた枝を上に伸ばし、生きてきたのがとても伝わる不思議な形をしていた。庭の大木も、たった一回の台風でくたびれるほど弱い木ではないと、確信していた。
むしろ、私を悲しませたのは、小さい方のマンゴの木の姿であった。幼少期、毎日のように登ったその木は、建物の真横に立っていたためか、根元に近いところから切り落とされていた。私の記憶にまだ残る、上るための第一歩となる、一番下の枝も、私が幼いころ友人と揺らした一番上の枝も、村を見渡すには最適な、椅子のような座り心地の枝も、跡形なく消えていた。せめて、大木のように、台風で倒れていたのだったら、もっと受け入れることができたのかもしれない。「仕方がない」、と。「不可抗力だったのだ」と。ついでに、「よく頑張ったね」なんて、上から目線に言えたかもしれないが、人の手、人の都合であっさりと切り倒されるとひどく虚しさが残る。私の、一番楽しい記憶が残る木だったのだ。子供のころ、私を育てて、守ってくれた木だ。大切な場所、と一言で言えず、どちらかというと保護者か友人というような存在だ。
乾いた幹の切り口は、二度と同じように生えてこないことを物語っていた。大事な思い出が詰まった木も、他人にはただの木だったのだから、人の都合上簡単に切り倒されても仕方ないとわかっているつもりだが、宝物をひとつなくしたような気持ちに、思わず泣きたくなった。