私は幼頃から何かに抜きんでてうまかったりしなかった。勉強もスポーツも人一倍できず、人間関係もうまくいかなかったため、大概クラスにおいてはぼっちという立場に居た。そのためか、他人よりできているかもしれないと少しでも思えるような特技を見つけるとすぐ見栄っ張りな部分が浮上し、心持ち「さりげなく」それを人がいる前でして「すごいね」と褒められるのを待っていた。とは言っても、情けないことに私は見栄を張るにも、ネタとなる手持ちの特技自体少ない。さりげなく褒めてもらうにも、フィリピンの学校で自信をもって「できる」ことと言えば、虫を触ることと、(クラス内に限り)絵を描くことのみだった。

だからこそ、日本に帰るとなぜか「英語が喋れる」だけで褒められる為、見栄っ張りな部分がフィリピンに居るときより頻繁に浮上した。しかし、英語ができるだけでなぜだか褒められるにしても、日本ではあまり英語を使う機会自体少なかった。素直に「私英語しゃべれるんだよ」と言ってその場で英語を実演するだけの自信があれば別だったが、あくまでも私は「さりげなく」英語を披露したかったのであり、そのためにはきっかけが必要だった。

そんな、自分の英語力を披露するきっかけの一つとなったのは本である。小学校5,6年の時、東京に住む叔母の家に遊びに行った時のことだ。十歳も年上の従姉が、暇そうに居間で座っていた私に、「数年前英語の勉強のために買った本だけど、読んでみる?」と、私に少し古ぼけた英語の本を渡したのだ。普段、自分が読む本と言えばイラストがふんだんに使われている絵本ばかりで、その時手渡された挿絵程度にしかイラストが入っていない小説は「難しい」から好きでなかった。フィリピンの学校で、たまに自分より年下の子が分厚い、辞書のような本を膝に抱え込むようにして読んでいたりするのを見たことはあるが、「あんな大きな本が読めてかっこいい」とは思っても、自分が読みたいと思うことはなかった。

しかし、従姉は「読もうとして買ったけど難しくて途中で諦めちゃった」と言って、私にその小説を渡したため、自分の見栄っ張りが働き、読むことを決意して受け取った。その古い本の表紙には、煙があふれる機関車の前に眼鏡の男の子が立っているイラストがついていて、「ハリーポッターと賢者の石」と大文字のタイトルがついていた。正直その時の私の美的感覚から言わせるとなんの魅力もないイラストだったが、従姉が読むのをあきらめた本であり、自分が読めるかもしれないということを考えると急に面白そうに見え、すぐさま読み始めた。

最初は読んでいても特に面白みのかけらもなく、普段本を読むときのように飽きて「やーめた」と放り出し、違うことをしたい衝動にかられた。しかし、最初の数ページだけは、従姉が本を読み始めた際に付けたと思われる用語の意味などの書き込みで溢れていて、そのような書き込みがたくさんある文章を読める自分がかっこいいような気がして放り出さずに読み進めた。すると、5ページほど読み進めたぐらいのころから、好きでもないことをしている時に感じるイライラが消え、代わりに、本の内容がまるで映像のように思い浮かべられるようになっていた。そのころにはもうすでに従姉が残した書き込みはなかったが、代わりに本にのめり込む自分がいた。従姉が読めなかった本を読むところを見てほしかっただけの自分の見栄っ張りな部分は本を読んでいるうちに薄れてゆき、褒められるためではなく、ただ純粋に物語の続きを知りたいがために読み進めていったのだ。

 

結局、その日私はひたすら叔母の家の居間で本を読み、夜ご飯に呼ばれるまでのめりこんでいた。夕飯の席では、自分の目論見通り周りは「あんな英語の本を読めてすごいね」と褒めてくれ、気分は良かったが、それ以上に早く本の続きが読みたくてうずうずしていた。結局、夕飯の後、「寝なさい」と怒られるまで私は本を読み、次の日の朝も、朝ご飯を食べ終えると飛びつくように本の続きを読み老けた。

祖母の家には2日程度しかいなかったが、私はその間にちゃっかりとその一冊を読み切っていた。そして、熱心に読み老けていた私を見た従姉は帰り際に「うちにあっても読める人がいないから」と言って私にその本をくれたのだ。日本のいる間に住んでいた祖父の家に帰っても私はその本を繰り返し読み、フィリピンに帰る時も忘れずに荷物の中に入れて持って帰った。帰ってからはすぐに本屋に寄り、「ハリーポッター」シリーズの二冊目を両親にねだって買ってもらった。

 

 見栄っ張りの私の部分はいまだに消えず、時にそれが出てきてさりげなく褒めてもらうように行動してしまう自分がいる。そして、やってしまった後に自分の軽薄な下心に思わず「恥ずかしい」と思うのだ。過去にも自分のそのような見栄が働いたことで失敗をしてより一層恥ずかしい目に遭ったこともたくさんある。しかし、そんなどうしようもないような子供っぽい自分の部分こそが、私を本の世界へと導いてくれた。考えると、見栄っ張りな自分は、いまだ克服したい部分ではあるものの、それによって起こったことがすべて失敗だったわけでもない。少なくともあの日、東京の叔母の家で発揮した見栄は、私に本という素晴らしい物へと導いたのだから。