今年の春ごろに書いた随筆です(*^-^*)

 

 ミュージカル映画、「サウンド・オブ・ミュージック」の中では、主人公たちの祖国、オーストリアの象徴である白い花を称える「エーデルワイス」という名の曲がある。エーデルワイスの美しさと祖国に対する愛を歌う歌詞は勿論、透明感あるメロディーは世界中の人々に響いたのだろう。現在では、音楽の教科書に欠かせないクラシックで、アメリカ寄りの教育を受けた私も音楽の授業では早くに教えられ、リコーダーの発表会では高確率で演奏させられていた。

 幼いころはその歌の歌いやすさや、いまいち理解できていないながらも「なんだかとてもかっこいいことを言っている」と思わせる歌詞のおかげで、頻繁に歌っていた時期もある。そのころの私の思考では、せいぜい歌詞が「エーデルワイスはとても美しい花である」と言っているという程度にしか理解していなかったが、それで十分だったし、歌いながらその美しさを想像するのは楽しかった。

 しかしある日、何かの話の流れで「エーデルワイス」について家族で話したことがあった。軽い会話の中で、両親が「歌を先に知ったから実物のエーデルワイスに期待してたけど、実際見てみたらあんまり綺麗じゃなかった」と、実際の花は思いのほか地味で期待外れだったことをこぼしていた。歌のイメージでいつの間にか天使を思わせるような、純白で神々しい、それこそ花弁の内側から淡く光りを放っているような幻想的な花を思い浮かべていたそのころの私は、その一言に驚き、残念がった。実際その時母がインターネットで検索し、私に見せてくれたパソコン画面の中のエーデルワイスは確かに白かったものの、花弁の上に大量の埃が乗っているように見え、丸く大きな雄蕊と雌蕊の自己主張が激しい花だった。パソコン画面に映った花を見ながら、「まるで蜘蛛の顔のようだ」と、失礼ながらも思った記憶がある。

 エーデルワイスに対する幻想を持ったまま、両親のように実物を見てがっかりするということにならなかったぶんよかったのかもしれない、と思う反面、歌を聴くたびに、頭の隅で蜘蛛を連想させるあの花を思い出し、どこか残念に感じてしまうことになった。そんなとき、もしかしたら、そもそも最後まで実際の花を知らずに、自分の幻想で楽しむのが一番よかったのかもしれないと少しため息が出てしまうのは止められない。

 

 あのころから十年以上経ち、大学入学してしばらく経った5月下旬ごろ、私は両親のエーデルワイスを見たときのような経験をした。

 冬の終わりから春にかけて日本に居るというのが初めてだった私は、暖かくなってきた気温とそれに合わせるように花々に感心する日々を過ごしていた。春と言えば花、というようなイメージは持っていたものの、いっぺんに大量の、それも多種多様な花が一気に咲く光景はなかなか想像できなかったのだ。フィリピンで咲く花の多くは一年中咲いているようなものが多かったし、花が葉より多いと思わせるような植物はあまりなかった。そんなフィリピンの花を基準に春の光景を見た私にとって、葉を圧倒する数の花を咲かす鮮やかなツツジや、雑草とは思えない、暖かい橙色のひなぎしや淡い桃色の昼咲桃色月見草は驚きだったのだ。

 だからこそ、自分が名前だけでも知っている花を見るのは特に楽しみだったのだが、いろいろと過剰な想像を働かせて期待するあまり、実物を見たときに「思ったより地味だ」や、「想像していたのと何か違う」と思ってしまうことが大半だった。中でも一番がっかりしてしまったのはハナミズキだろう。一青窈さんの歌、「ハナミズキ」を通して初めて知ったその花には、私もずいぶんと期待をしていた。もちろん、春の花の象徴とも思われる桜にはそれ以上の期待をしていたが、ハナミズキに関しては、まだ歌を通してしか知らなかったので、それだけミステリー要素があったと言えるだろう。

 その姿さえも分からないハナミズキは、実は初めて経験した春には見ていた。大学の図書館の前や、校舎の一部に植えられていたので、目に入るのは自然だったと言えよう。しかし、空に向かって咲く平べったい印象の地味な花だったがために、気に留めていなかったのだ。結局その春の間にはその花々をハナミズキと知らずに過ごし、翌年の春、たまたま学内の一本のハナミズキに付いていた植物の名前表記を見たときに認識した。歌の歌詞のように薄紅色の花を持っている、若いハナミズキの木だったが、どことなくがっかりしたのは言うまでもない。

 何を期待していたのかは、今となってはいまいちわからないが、少なくともあのような花ではなかった。そう考えていると、数年前に両親が、エーデルワイスは期待外れだったと言っていたことを思い出し、二人ともこのような心境だったのかと一人で納得する。

 

 すると、何の変哲もないように思える花に掛ける思いを、ほんの数分の歌でこれほど表現する、作者たちの力に、自然と尊敬の念が沸いてくる。地味で、気にも留めない花が、彼らの歌を通して不思議な魅力を得、多くの人の心にも特別な存在として刻まれる。不思議なものだ。私も、最初はあまり意識していなかったハナミズキを、最近は結構気に入っている。先日は電車の中から満開のハナミズキを遠目で見た。薄紅色ではなかったが、白色の花が咲く様子は、上から見るとまるで新しく降り積もった雪のようで、最初は二度見をしてしまった。春の景色に、ほんの一瞬雪の幻想を抱かせる花に、そういえば私はまだハナミズキを下からしか見ていなかったと気づかされる。初見ではいまいち華やかな印象を抱かせない花だが、年々見ている中でその魅力を感じさせる、そんな花なのかもしれない。それ以来、まだ知らぬハナミズキの魅力を見れることを、一青窈さんの「ハナミズキ」を聞きながらひそかに思い、春を待っている自分がいる。