先日、私が所属している美術部の式典が開かれた。式典自体は年に数回、学際などのイベントでも行われるのだが、今回の式典はその中でも重要なものだった。会場を数日間借り、部員全員が最低一つは作品を出さなければならない。過去作も出すことができ、中には大人一人の身長もある大きな油絵数個を含む大量の過去作を出す人も何人かいる。その結果、式典に出された数は100個以上にもなる。

 もちろん、会場自体も特別だ。学際などでは教室を借りて作品を展示するが、この式典は学外の会場を借りるのが毎年恒例だそうだ。今年は北新地駅近くの人通りの少ない地下の一角に置かせてもらう許可をただでもらうことができた。部のOBの方々のコネを通して会場を予約したため、会場費は無料。その代り作品の運搬や、作品を展示するための機材の組み立てなどは行わなければならず、照明も暗め。しかし、去年までは25万の会場費を払い、人もめったに来ない場所を借りていたそうだからずいぶんとお得である。式典の準備なども半年前から担当の部員達が行い、搬出は全部員原則参加という、一年で一番力を入れている式典である。

 

 しかし、一年で一番力を入れるべき式典だったにもかかわらず、私が出展した作品は小さな粘土細工五つだけである。本当は120号サイズと言われる、大人のベッドほどの大きさの作品を去年の夏に描いたのでそれを展示すればよかった。人生で描いた絵の中でまぎれもなく一番大きく、時間もかけた。夏に母の知り合いである先生に誘われ、行った美しい奈良の春日大社で見た灯篭と、真っ赤な鳥居を前面に描いた絵である。しかし、あまり建造物などが得意ではないため、初めての120号サイズの題材としては張り切りすぎたのだ。

夏休みに入ってから、丸一週間以上泊まり込みで描いたが、計画性がないがために夏の展示会に間に合わず、「間に合わない」と先輩の方に頭を下げた。それからさらに大学と私生活の合間に時間を作るのに苦労し、実際完成したのは締め切りの3か月後だった。大幅な遅れのせいでその絵は秋の学際でやっと展示したのだが、今回は過去作も入れていいことを聞き逃したため、見事に出展リストに入れそびれたのである。普段からあまり注意深くない上、ぼーっとしているせいか、結構な確率で重要な情報を聞き逃し、手遅れになってから気づくことがある。今回も、搬出で卒業生などが一回生の時描いた作品から最新作まで、すべて出展していることに気づくまで自分の過ちに気づかなかった。

 夏の展示会までに120号を終わらせていた同期の部員の中では、秋の式典と今回の式典を含め、最高3回出展している人たちもいた。そんな中、私は1回しか展示できていないということに思わずため息が出てしまうが、重要な情報の聞き逃しで後悔することにはまれではないのだ。次の式典には絶対出展しようと心に誓った。

 

 そんなわけで、私は式典の搬出当日まで120号を出展していいと知らなかったため、「特別な理由がない限り、最低一人一つ作品を出展すること」と強く言われたときに非常に焦ったのである。去年頑張って書いた絵は120号のみで、ほかに出展できそうな作品などなかった。しかし、出展できない根拠となる言い訳もない。新しく作品を作ろうにも、試験期間中だったため、時間も余裕もなかった。そんな困っていた時に、下宿部屋の棚に、大学はいる前、受験勉強の息抜きに作った猫の粘土細工が目についたのである。

 

 一つ目は粘土細工の中で一番大きい猫だが、それでも拳より一回り小さい程度。製作当初の予定は針金と紙を土台に、立派な猫の立体像を作ることだったが、思いのほかに不器用だったため、途中からダルマに耳としっぽが生えただけのような間抜けな体になってしまった。どうせなら猫型マトリョーシカのようなおしゃれな置物にしようと予定を変更し、粘土が乾くと真っ赤な絵の具で全身を着色し、ペイズリー柄と三毛猫をモチーフとした柄を緑やオレンジ、青などを使って描いた。我ながら素晴らしい出来だ、と満足して母に出来上がった猫の写真を送ったが、毒々しい色と頭の上の謎の柄を見て、「あんまり可愛くない」と評価したのち、「なんで雑巾が乗ってるん?」と聞いてきた。時間をかけた割には不評の猫細工である。

二つ目は親指程度の粘土細工で、不評だった猫マトリョーシカを含むほかの猫細工の中でも一番古い。人生で最初に作った猫ではないが、それより先に作った猫たちは何かしらでいろんな人にもらわれていったのである。祖父の近所に住んでいる野良猫をモチーフとしているもので、サバトラ柄に緑の目である。座っている形だが、足をうまく作れず、緑の目は何度も塗るのを失敗したため、不自然に大きい。自分でもいい出来栄えとは言い切れなかったため、ほかの初期の猫細工のように人にあげなかったのだ。しかし、実はこの猫は一度飾る以外でも活躍したことがある。知り合いの方の家にお邪魔させてもらったとき、3歳の女の子の子守を任され、その猫がちょうどポケットに入っていたので、それを使って遊んだのだ。女の子は少々荒々しく遊んだため、塗っていたニスと絵の具が一部はがれ、耳がほんの少しだけ欠けてしまったが、家に帰ってからニスを塗りなおしてごまかした。あんまり自信作ではないにしろ、時間をかけて作ったため、少し欠けたぐらいで捨てる気も起きなかったのだ。そしてとにかく棚に飾っておいたのたが、今回の式典で出す作品が猫工作だけな故、多い方が少ないよりはいいと思い、一応出展したのである。

残りの三体は大学に入ってから時間がある時に作ったものである。大きさはみんな親指大かそれ以下の小さなもので、それもダルマ型のシンプルなつくりである。なぜなら、サバトラ柄の猫を作ったときに、自分の不器用さに気づき、自分でもできる形を考えた結果、ダルマ型ならできると気づいたからである。黒猫、三毛猫、クリーム色の猫の三種で、つくりは非常に手抜きだが、気に入っていた。箸置き程度の大きさだが、その割には凝ることができたと思うのだ。

 

計5匹の猫細工をひとつの作品として出展し、タイトルはもちろん「猫」である。大きなマトリョーシカ猫を囲むように小さい猫たちを適当に配置した。幸運にも、私の作品の横に飾られていたのは部室においてあるゲーム機を使うためだけに入部した部員達が「出展しないとゲーム機の使用を禁じます」と先輩部員に言われてしぶしぶ作った紙粘土作品だった。拳の大きさのドーナツと、それより少し大きい魚の粘土細工である。どちらもシンプルなつくりで、ドーナツに関しては着色もされていない。おかげで自分の作品の手抜き具合が目立たないため、助かった。偶然出展番号が隣り合わせとは、類は友を呼ぶとはこのようなことをいうのだろう。なんせ、ほかの立体作品は自分の想像以上に凝っているものばかりだった。中ではオリジナルキャラのアクションフィギュアや、いったいどのようなひらめきで思いついたかが不明だが異様にリアルな野菜など、いずれも私の猫をその横に置いてしまっては自分の不器用さが際立ってしまっただろう。

 

 先輩部員などでは10作品ほど出す人たちも何人かいる中、展示物が猫の粘土細工のみというのは少し気が引けたが、下手すると何も出展できなかった可能性だってあったのだ。それに、今回はまだましな方である。なぜなら、「新入生原則出展してください」と言われていた春の新人展では大学生活で必死だったがために「出せません」と頭を下げ、その次の120号展に関しては先ほど書いた通り、計画性がないがために出展に間に合わなかった上、完成したのが異例の締め切り3か月後だったのだから。「間に合いません」と謝っていないだけ、進歩しているのだ。

 

 結局様々な後付けをしながら、今回の式典で私は猫の粘土細工のみを出展したわけだが、大人の身長ほどのサイズの大迫力の120号キャンバスから、アクションフィギュアのような細かい立体が勢ぞろいな式典ではあまり目立つことはないとふんでいた。式典が行われている場所自体、駅の隣と言っても人通りがさほど多くない地下の通りで、照明も暗め。式典を見る人たちは通り際に作品たちに目を通すだけの人が大半で、そんな状況で人が見るのは大概の場合は大きな120号の絵である。ついでに地下の通り道というだけあって、風は筒抜け。人通りはあるが、決して式典には向いているとは言い切れない環境である。そんな中、私の作品が置いてある机は照明が消えかけている奥の一角にある。横目で作品を見ながら歩いてゆく通行人はもちろん、まじめに観覧してくれている方々にも箸置き程度の猫の置物など目に入りにくい配置だったのだ。

 

 しかし、そんな環境の中意外にも私の猫たちをよくも悪くも気に入ってくれた方がいたようだ。なぜなら、式典3日目に自分のシフトの時間に式典会場に足を運んでみたら、シフト時間をともにする先輩部員に猫が一つ盗まれたという報告を受けたからである。5日続く式典で、被害は意外にも私の作品だけだった。最初から会場を借りるにあたって、通路に絵を置かせてもらっているのだから、作品への被害は仕方がないといわれていたが、自分の猫が盗まれるとは予想外だった。「作品には保険をかけていないから仕方がない」と、その場に居たOBさんに言われたが、むしろ状況は面白かったので気にしていなかったのが本音である。まさに「猫さらい」である。フィリピンの実家で飼っている愛猫が贅沢な食生活をしているため、村中の猫の中でもつやつやとしている毛皮を持っていて、もしかしたら猫さらいに遭うかもしれないと心配した時期があったが、今回ある意味で猫さらいに遭った。今考えたら大して面白い冗談でもないが、その時は結構ニュアンス的に笑えたのだ。

 話によると、猫さらいに遭ったのは、一番年長のサバトラ柄の猫だそう。自分の中ではあまり傑作とは言えない作品な上、絵の具がほんの少しところどころで剥げていたため、意外だった。もちろん、私の作品たちは見張り役の部員たちの座る机からは死角の場所に設置してあったし、大きなマトリョーシカ猫以外は拳に入るほどの大きさだったため、どれも基本的には盗みやすい作品だったと思う。しかし、盗るなら小さいダルマ型の三毛猫や黒猫が一番上出来だと個人的には思ったのだ。

 

 まあ、盗られたものは仕方がない、とあまりがっかりすることもなく空いたサバトラ猫の位置を埋めるように残った猫達を配置しなおした。考えてみたら、そう悪いことではない。一応愛着は少しありながら、自分の中では「失敗作」だったため、特に目立った場所に大事に飾っていたわけでもないし、人にもらってもらう予定もなかった。私の部屋でも粘土細工作品の中では一番年長者でありながら、あまり関心がなかったので、最近増えて整理ができていないほかの雑貨の間で転がっていたのだ。

あとから作った姉弟たちに愛情を注いでいたため、ハミゴにされて寂しい思いをしていたのかもしれない。この式典を機に、いい飼い主を見つけ、連れて行ってもらったなら、それもいい。盗むぐらいなのだから、自分が失敗作と思いながらも、その人はよほど気に入ってもらえたに違いないと思うと少しうれしい気もする。どんな人かはわからないが、あのサバトラ猫を可愛がってくれていることを信じ、「どうかお幸せに」と、言ってあげたい。