本好きであれば、心に残っている本の一冊ぐらい、誰でも持っているのではないかと、最近思う。私にとって真っ先に思い浮かぶのは小説の世界へ導いてくれた『ハリーポッター』シリーズであるが、最近幼児相手の家庭教師のバイトで絵本の読み聞かせをしていると、子供の頃に母や先生に読んでもらった絵本を思い出すようになった。
 

 小さい頃から絵と物語が好きだった私にとって、幼稚園に通っていた頃先生が絵本を読み聞かせてくれる「本読みの時間」が毎日楽しみだった。と言っても、その頃の私は精々5、6歳で、その頃の記憶はかなり曖昧であり、「そんなこともあったな」や「楽しかった」ぐらいしか思い出せない。読んでもらった本も、殆ど忘れてしまったし、覚えていてもある一冊の絵本の一場面や特に印象的だった短いセリフと言った、断片的なものばかりである。しかし、それでも、何年経っても忘れられない絵本が一冊だけある。それはロバート・マンチ著作の「ラヴ・ユー・フォーエバー」という絵本で、表紙にはトイレットペーパーや歯磨き粉のチューブなどが散乱するトイレで、便器の横に座り満面の笑みでこちらに向いている幼い男の子が描かれている。

 物語の大筋はある母親とその息子の成長である。一ページごとに赤ちゃんから大人の男性へ成長していく息子の過程が見られ、いたずらっ子の息子に嘆く母親が見られる。最初のページでは赤ん坊を抱いた母親がいとおしそうに男の子を見ながらソファーで子守歌を歌うシーンで始まる:
 

I`ll love you forever, (いつまでも愛している)
I`ll like you for always,(いつまでも好き)
as long as I`m living(私が生きている限り)
my baby you`ll be(あなたは私の赤ちゃん)
 

 当時の幼稚園の先生は、この短い子守歌を心地いい旋律に乗せて歌って聞かせてくれ、子供ながらに聞き入ったのを覚えている。最近になって先生が歌ってくれた子守歌を自分でも歌いたいと思い、ネットで探してみたが、出てくるのはなんの旋律にも乗せていない音読ばかりだったので、あの旋律は先生のオリジナルだったのかもしれないと思っている。それでも、よほど印象が強かったのか、数日掛けて記憶の棚を掘り起こせば断片的なメロディーを思い出せた。その断片を自分のアレンジで縫い合わせるように新しいメロディーを作ってみれば意外にもしっくり来て、心のどこかで「確かにこんな歌だった」と納得している自分がいる。

 さて、物語はそこからは一ページごとに男の子成長する過程が描かれる。表紙のようにトイレでトイレットペーパー片手に母の腕時計をトイレに流して遊ぶ幼児から、晩御飯に参加したがらず、風呂にも入りたがらない反抗的な少年、と少しずつ成長する男の子に、毎度「気が狂いそうだ」や、「動物園に売り飛ばそうか」と嘆く母が描かれる。しかし、その次のページでは必ず、夜、男の子の部屋に忍び込み、息子が寝静まったのを確認してから抱き上げ、最初の子守歌を歌う母親が出てくるのだ。

 男の子が少しずつ成長するにつれ、部屋に忍び込み、子守歌を歌う母親も、若い女性から眼鏡をかけたおばさんへと少しずつ変化していく。そして、家を出て一人で暮らすような大人になった男の子の引っ越し後にも、今度はすっかり顔にしわが寄り、白髪になった母親が、梯子を乗せた車で夜道を走って息子に会いに行くページが出てくる。そこで、寝静まった息子の部屋の窓から、梯子を使って忍び入り、抱き上げ、同じ子守歌を歌うという、現実味のない、思わず笑ってしまう展開になる。

 しかし、次のページでは男の子へ母親が「私はもう病気で、年も老いているから、会いに来なさい」と電話をかけるシーンが出てきて、すっかり大人になった男の子は母親に会いにいく。息子を見た母親はいつもの子守歌を歌うが、年と病のせいで歌えきれず、歌は途中で終わってしまう。そんな母を、今度は息子が抱きかかえ、母に向かって子守歌を歌うが、彼は最後の段落を「my mommy you`ll be(あなたは私のお母さん)」に置き換える。
 そして、すっかり夜になり、母親の家から自宅に帰った男の子は、二回の子供部屋に寝る生まれたばかりの娘を抱き上げ、母親が歌っていた子守歌を歌うシーンで絵本は終わる。

 幼稚園児の私は、歌えなくなった母を息子が抱き上げ、逆に母親に向かって子守歌を歌うシーンで涙がボロボロと落ちてきて、絵本が終わる頃にはすっかり泣いてしまって、先生を少し困らせてしまった。物語に単純に感動したということもある。しかし、それ以上に絵本の中の弱っていく母親を見て、私は老いという概念を自覚したのだと思う。
 

 どんなに困ったいたずらっ子でも、夜になれば赤ん坊の時と同じ愛情で息子を抱き上げ、子守歌を歌う母親に無意識で自分の母を重ね、そして少しずつ若い女性から眼鏡をかけたおばさん、最後には子守歌も歌いきれないおばあさんへと成長する母親を見て、自分の母も、いつかはおばあさんになるのだ、と気づいたのである。
 

 もちろん、それ以前にも私もほかの人たちも皆年を取るものだ、とわかっていた。しかし、それを本質的に知って、自分も母も、老いていつかは亡くなる存在であるということを本当によくわかっていなかったように思うのだ。しかし、絵本で母親とその息子の成長を見て、そこに自分の母を重ね、老いて弱る過程を見て、どうしようもなく悲しくなった。
 

 しかし、母親の代わりに子守歌を歌い返す男の子の展開では、ただ悲しいだけでなく、不思議と胸が熱くなるような心地もして、そのような新しい感覚が、きっと自分の中でよほど印象的だったのだと思う。ストーリーの短さに対して、表現されている親子の愛情のはとても深く、それを幼児にもわかりやすく表現している『ラヴ・ユー・フォーエバ』はきっといつまでも忘れられないような一冊だ。

 子供に受ける繰り返しの展開と、心地いいメロディーに乗せられた子守歌とユーモアあふれる絵で彩られた絵本は視覚的にも聴覚的にもとても印象的で、初めて泣いてしまった本もあって読み聞かせの後も字が読めないなりに借りてページをめくった覚えがある。小学校に上がっても、図書館で見つけたら立ち読みし、どこか私の心の中に特別な存在として、今でも残っている。