日本で暮らしていて、いつまでたっても慣れることが出来ないことは沢山ある。しかし、そんな中でも、どうしても慣れることが出来ないのは日本人の水に対する価値観である。皿を洗う時でも、手を洗う時でも、使っていない間は水を止めるという概念を持っていないのではないか、と思うほど、多くの日本人は水を贅沢に使う。幼い頃から水を無駄に使えば怒られていた私からしたら、理解のできない価値観だ。


 先日など、部活の部員として手伝った学際の後片付けで鉄板を洗う部員が意味もなく水を出しっぱなしにしていたので蛇口を捻って止めたら、逆になぜ止めるのだ、と問われた。「もったいないから」と答えれば、心底理解できないという表情で、「水だから別にいいじゃん」と返され、その言い草と表情で、どれほどこちらが真面目に説明しようとしても理解してくれないだろうという価値観の溝を感じたものだ。
 

 そもそも、日本では水が無限にあるものではない、という感覚がまずないのだろう。水とは蛇口をひねれば出てくるもので、そのような水を享受できるありがたみをわかっている者はあまりいないのではないか。かくいう私も、最初から水をありがたく使っていたわけではない。水という物のありがたみを知ったのはひたすら幼少期のフィリピンでの数々の経験からである。

 そもそも、フィリピンで住んでいる我が家にとって、水とは無制限にあるものではなかった。途上国のド田舎の貧困地域だけあって、周りの人たちは皆公共の場に設置されている手押し井戸から水を汲み、家まで担いで生活に必要な水を確保し、もちろん風呂は井戸で服を着たまま浴び、洗濯も井戸の近くで済ます。それに比べて、我が家は給水機で水を汲み上げる水タンクを個人的に設置していたため、大分恵まれていた。なんせ、タンクに水が入っているうちは蛇口をひねれば水は出てくるのだから。
 

 しかし、そんな我が家でも、タンクの中の水が切れれば、また給水機を起動し、くみ上げられるまでは水は無くなる。長くても一時間程度だが、その間、風呂桶に水が溜まっていなかったら風呂には入れないし、皿洗いもろくにできない。洗濯物などもってのほかである。さらに、突拍子もなくやってくる停電が何日か続けばタンクにたまっていた水が切れ、給水も出来なくなり、稀ではあったがその要領で数日水が切れることがあった。そんな時は村の人のように、石鹸とシャンプー片手に公共の井戸まで行き、風呂を浴びる必要があった。
 

 水が切れることの不便を日常的に感じていたため、昔から水を流しっぱなしにしていると母から叱られ、短い間でも、使わないのであれば蛇口をひねり、水を止めることが当たり前の習慣として身に着いたのだ。

 そんな私でも、本当の意味で水を享受できる幸運を理解したのは小学生低学年のころである。その頃の私は暇さえあれば村で一番の親友だったイダイという女の子と遊んでいた。そして、このイダイは私の家の向かいに建っている壊れかけのあばら家に住んでいた。

 

 家の広さは精々5畳程度。電気もガスコンロもない家で、拾ってきたと思われる板や捨てられた看板などのつぎはぎで作られ、針金で固定された、扉と言うことさえ戸惑うような板切れを引きずるように開けば真っ先に見えるのは学習机程度の大きさのガタつくテーブルだった。これもまたそこらで見つけたであろう板や棒切れで作られたのではないかと思う作りで、セットとしておいてある幅20センチほどの長椅子も、何も考えずに座ればバランスを崩し、落ちてしまう。

 

 もちろんタイルなどという物はなく、申し訳程度に箒で掃き掃除された床はむき出しの地面だ。部屋の角にはコンクリートで作られた小さな石炭ストーブのようなものがあり、それに毎日最低限の石炭を置き、火を点け、ご飯を炊くのがイダイの仕事だった。
 

 さらに、その奥の3畳程度の狭い寝室には両親用の崩れ気味のボロボロなマットレスが一つと、子供用の毛布が数枚しかなく、そこでイダイは父、母、兄、そして弟の5人で毎晩寝ていた。

 

 そのような極貧生活に、当たり前だがひねれば水の出る画期的な蛇口などない。彼女の家にあるのは大人一人が入るほどの大きさのプラスチック製の大樽が一つと、使い古された5リットルペットボトル数個であった。この大樽の水を補充するのもまたイダイの仕事の一つで、彼女はたまに、「今日は水を汲まないといけないから」と、私と遊ぶのを断る時があった。そして、何度か、こちらも早く遊びたいからと、手伝ったこともある。
 

 しかし、村の中でもかなり山上の方に家を構えているイダイ宅から一番近い公共の井戸は急な坂道を一つ下ったところにあり、徒歩で6分ほどかかる。片手に5リットルずつ持ったとしても、大樽を補充するには一往復で足りるわけもない。そうなると、自然と何往復もする必要があり、これがなかなか時間もかかるうえ、体力も使う。なんせ、空っぽのボトルを持った行きは下り坂で楽だが、よりによって5リットルボトルを二個提げて行く帰りはすべて登坂なのだ。道も舗装されていなくて石だらけなのも、水で補充したボトルを置ける平らな場所を見つけるのに不便で仕方がない。
 

 毎日補充しているイダイはそれでも二本の5リットルペットボトルを何ともないかのように担いでいた。それに対して、当時の私は5リットルペットボトル一本でも何度も道中に休憩を挟まなければならず、手伝いどころが足手まといだった。それでもイダイが怒らずに私が休むたびに一緒に止まってくれたのは、二人で水を担いでいるその時間が遊びのように楽しくて仕方なかったからだろう。私はイダイと二人で楽しくお手伝いをしただけだが、イダイは毎日一人で黙々とその仕事をこなしていたのだ。水を補充する大変さの片鱗に触れても、その苦労を本当の意味で知ったことはない。

 毎日身にもって水を補充する大変さを知っているからこそ、イダイは日常生活でも水を大事に使った。彼女と遊ぶ中で、それはたびたび感じることだった。特に、食事後の皿洗いをするときのイダイは、それはそれは大事に水を使った。

 

 まず、シンクもないので、大樽から家においてある二つの洗面器の内の一つに半分ほど水を入れ、地面に置く。そして、その中に汚れた皿を入れ、軽くすすぎ洗いをし、同じ水でほんの少しだけ洗剤を付けたたわしを濡らし、全ての皿を洗う。最後に綺麗な方の洗面器にまた水を半分ほど入れ、泡をすすぎ落し、残った水で使った洗面器の汚れも落とす。この手順は、私が一度善意から「私が洗ってあげる」と言って、贅沢に水を使おうとした時、驚いて止めに入ったイダイ自身が教えてくれたもので、当時の私も使う水の量の少なさに感動したものだ。
 

 そんな少ない水で皿をすべて洗うイダイがかっこよく見えて、それからしばらくは一生懸命家でもイダイのしたように皿洗いをする努力をしてみたが、洗面器一杯程度の水で皿をすべて洗うのは思いのほか難しく、すぐに飽きた記憶がある。

 幼いながらに、イダイの生活に触れることで水は大事に使う物であると理解した私はそれ以来水をもう少し大事に使うようになり、水が流しっぱなしにされているのを見ると彼女の生活が脳裏に思い浮かび、なんとも言えない罪悪感を持つようになった。

 

 自分の一番親しい友達が、生活面では互いが想像しきれないほどかけ離れている。そのことを、水を通して少し理解でき、自分がどれほど恵まれているかを自覚する一つのきっかけとなった。
 

 昔、アメリカのサイトでOnly once you have carried your own water, will you learn the value of every drop.(自分で水を運ぶことでしか、一滴一滴の価値は知りえない)という言い伝えを読んだことがある。水それ自体のことを言っているわけではなく、他人の立場に立ってしかその苦労と、成果のありがたみを知りえないということの比喩である。しかし、私は幸いにも、水を運び、その苦労を少しながら知った経験があり、言い伝えを実体験で知っている分、とても心に響いた。

 きっとイダイのように、本当の意味で水の貴重さを理解しているのではないだろう。しかし、日本に住んでいる中で水が流しっぱなしであることが「もったいない」と感じることなど一生無いような同世代の人を見ると、子供だったあの頃にイダイが意図せずに教えてくれた、我々がごく普通の物と思っているもののありがたみを知ることのできた自分の幸運を感謝したくなるのである。