伝えたい思いが歌になる -13ページ目

さすらい全国奏でますツアー北へ2000③

さてさて沖縄の旅は始まったばかり。だいたい昼間は曲作りと、8月なので暑さ凌ぎに県庁の入口の席に座って体冷やしてる。もちろんギターは弾けないけど半日はそこにいる。何してんねん俺。スーツの人が多い中、半袖短パン姿に小麦色に焼けた黒い顔の俺。
ホームレス風の方も度々見かけるが、俺もソレ風の人💦
ストリートライブを終えて23時過ぎ、安宿を出て夜の寝床はパレットデパート2階の風通しの良い通路の端っこ。これが野宿の始まり。

ある日の夜、疲れ果ててリュックサックを枕に通り風を受けながら熟睡してた夜中、寝返りを打ってパッと目を開けてみると、俺の半分のリュックサックを枕にして、向こうを側を顔にして寝てる、俺ではないもう1人の人間が寝ている!! えっ!! えーーっ!! 声を出すとその人間がゴソゴソと体を起こして、俺の目を一瞬見て立ち上がって、ゆっくりと歩いて去って行った💦💦💦。。 だだだ誰、何??? 

その人は、要するに俺のような、ソレ風のホームレスの方でした。
良い枕があったので寝てしまったのでしょう。
いやいや、俺は焦る焦る。自分の枕に知らないおっさんが寝てたら、想像を超える程びっくりするでしょう。
長い旅の中でのこの出来事は第一章に過ぎなかったのです。

2月28日

とても明るくて、周りの人にとても気を使う人でとても優しい母でした。

いつも笑顔でした。笑顔が似合う母でした。

その上お茶目で料理が美味くて、そしてガキの頃からいつも俺はなにかといろいろ、怒られていたなぁ。



信じられないよ。実家に帰ってももうおかえり、の声が聞こえないんだ



母ちゃん、20年前歌オーディション番組のバラ珍のTVも、てつお出なよ!、と勧めてくれたね、応募したら8000人の中の8人に選ばれたよね。全国放送で流れるから会社の人みんなに哲男TV出るから見てねと宣伝してくれたそうだね、ありがとう。



26歳の夏に沖縄からギター1本で全国回る!!と家を出る朝、母ちゃん、手紙くれたね。それは激励の手紙でもない、成功してきなさいでもない、。それはただ俺の体を気にして野宿はやめて旅館で泊まりなさいと。たまに連絡すること、と書いてくれたね。

羽田から乗った飛行機の中で、その母ちゃんの溢れる優しさに触れて手紙読みながら涙が止まらなかったよ。

ありがとう。

さすらい全国奏でますツアー北へ2000 ②

沖縄県庁(国際通りの入口)の前にあるパレット久茂地というデパートの中庭で、着いた日の18時頃、旅で初のストリートライブ開始。

チェンジマイセルフ♪〜。
夜23時頃までカバー曲沢山歌って、宿に帰る。その宿は歩いて探しておいた、一泊素泊まり1500円。ここに2週間滞在することになる。

昼間はもっぱら那覇市内の歌える場所を探し歩く。飛び込みでバーやライブハウスに突撃して2.3曲歌わさせてもらった。

そして、メディア、、沖縄テレビ社に突撃。
受付で、(あのーー埼玉から来た笠井哲男という歌うたいの者ですがーー、歌う姿を映像で写して頂きたいのですがー、、編集長の方いらっしゃいますかーー??)編集長でいいいのか??それは雑誌社か、、そんな感じだったはず。

いやいや、今思えばアポもなく、飛び込みで行って俺どんだけアホなんだ!?、いやどんだけ世間知らずなんだとつくづく思う💦
とはいえ26歳。強い思いや勢いは人を巻き込んでしまう。
奥から本当にえらい方がやってきた。

僕のプロフィールチラシを一通り見た後に、じゃ(歌っみてよ)。わおー!!よっしゃー!
事務所の片隅の応接間みたいなところで、早速の弾き語り。
じゃ笠井さんはパレットで明日も歌ってますか?? はい! 

そして、何日か経った夜のパレット前に、沖縄テレビのクルーの方に来て頂いた。弾き語ってる映像、プロ歌手目指して北へ2000のツアーの出発地点として沖縄にいます!!皆さん是非聞いて下さい!!等コメントも撮影して頂き、放送して頂いた。

後日放送を見た視聴者の方々に声をかけて頂き、TVの力ってすげー!と思った。よし!オレイケル!と勘違いの始まりです。