こんなニュースがありました。
以下引用。
 
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死刑執行、ハイペース(上) 強まる「自動化」 背景に確定者増加
10月29日10時44分配信 毎日新聞
 

 ◇「国際世論に背」と批判も
 
 28日に行われた今年5回目の死刑執行。短期間で相次いで法相が交代した期間にもかかわらず「2カ月に1度」というペースは維持された。今年の執行は15人に上り、1975年の17人に次ぐ人数に。自動執行の流れにより近づきつつあると言え、国際世論からの批判も強まりそうだ。
 
 「ちょうど国連からの厳しい勧告が予想される中での執行だ。日本の死刑執行のあり方は、国際世論に背を向けている」
 
 執行を受け、「死刑廃止を推進する議員連盟」事務局長の保坂展人衆院議員は急きょ、法務省の大野恒太郎刑事局長と面会して抗議した。国連規約人権委員会は今月15、16日、対日審査を実施し、死刑制度を批判。これに基づく勧告が近く出される見通しになっている時期の執行を痛烈に批判した。
 
以下略
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このニュースを読んで、何となく鎖国時代の日本を思い出しました。(っていうと、私が鎖国を経験していたみたいだけど笑)
 
遠藤周作の著書に「侍」という本があります。
鎖国する直前に、メキシコとの貿易を希望する藩主から命をうけて、初めて生まれ育った村を出てローマ教皇へ親書を渡しに海を渡る。井の中の蛙だった日本人が、初めて外国の土地を踏み、その技術や考え方の違いに度肝を抜かれる、というお話です。
 
技術や生活の知恵などは、便利なものをどんどん器用に真似て、取り入れる日本人ですが、哲学的、宗教的な思考に関しては本当に独特な考え方を持っているように思います。
 
 
以下「侍」より抜粋
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日本での長い生活で、私はいかに日本人が宗教の中にさえ現世の利益を求めるかをこの眼で見てきた。つまり現世の利益をより多く獲得するために彼らの言う信心があると言ってもよいほどだった。病気や災害から逃れるため、彼らは神仏を拝む。領主たちは戦いの勝利を得たいために神社や仏閣に寄進を約束する。坊主たちもそれをよく心得ていて、薬よりももっと効きめのある薬師如来という悪魔の像を信者たちに拝ませているが、この如来ほど日本人に崇められている仏像はないのだ。そして病気や災害から逃れるためだけではない。日本人の宗教には富をふやし財産を守ってくれると称する邪宗も多く、それにはあまたの信者が集まってくる。
宗教に現世の利益だけを求める日本人。彼らを見るたびに私はあの国には基督教の言うような永遠とか魂の救いとかを求める本当の宗教は生まれないと考えてきた。彼らの信心と我々基督教徒が信仰と呼ぶものとの間にはあまりにも大きな隔たりがある。
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さて、現代の世の中で秩序を守って生きていくには、人間が人間を裁くことも必要でしょう。
 
しかし、死を宣言するほど人間が権限を持ってしまって良いのでしょうか?
 
 
アメリカでも州によっては死刑は実行されていますが、ヨーロッパではベラルーシ以外で廃止されています。