かけあし守谷観光:海禅寺と石神神社 | はろはろはうすの<何を食べようか>

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夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

10月30日

茨城県守谷市に来ている。

「守谷城」をひと回りして、
それから駆け足で守谷市内を観光だ。

守谷と言えばやはり「将門伝説」

平将門が「新皇」を名のり、
自身の御所「相馬内裏」を建てたのが
守谷城の始まりであるという伝説。

将門には7人の影武者がいて
戦場では見分けがつかなかったため、
藤原秀郷は自分の娘・桔梗姫を
身元を隠して将門の愛妾に送り込ませていた。

そして戦場で将門が誤って泥田に落ちた時、
桔梗姫が守谷城から合図を送ったことで
本物の将門を討ち取ることができたという伝説。

などなど。

その将門の7人の影武者の
供養塔が海禅寺にある。



この寺も平将門が、
高野山に擬して創建したと
伝えられている。




 

また本尊の地蔵菩薩は
将門の娘・如蔵尼の持仏であったとも。



こちらがその「七騎塚」



並んでいる石塔は八基。



この右の大きな石塔は
平将門の供養塔である。



そして「石神神社」へ移動。



石上神社ともいうそうな。

この神社の名前も
平将門が名付けたとのこと。



拝殿の裏の小さな古墳の様な
小山の上に本殿がある。







この彫刻が実に素晴らしい。



見事な職人の仕事ですねえ。



その前に置かれている石棒は
アレです。





さらに周りにも無数の石棒が。



 

ここは子宝祈願はもちろん、
遊郭や花柳界・水商売でも
篤く信仰されていたそうである。



そもそもこれは
縄文時代から続く信仰でも
ありますからね。



ひとの願うことというのは、
縄文時代からそんなには
変わっていないのだな。






ここの御神体はやはり
一丈二尺の石棒なのだそうで、
この本殿のある塚の中に
埋められているのだそうな。



だから「石上神社」か。

なるほど。



傍らで小さなお地蔵さんが
微笑んでおられます。





近くの常安院へも立ち寄ってみる。





静かな良いお寺だが、
残念ながら詳しいことは不明。