9月15日
さいたま市岩槻区。
久し振りに岩槻城跡を散策。
今は新曲輪と鍛冶曲輪の跡が
岩槻城は室町時代の末期に築かれ
明治になって廃城となった城である。
江戸時代は徳川家の譜代大名の城となり、
日光へ参拝する将軍の宿泊所となった。
城主の中でも知られているのが大岡忠光。
9代将軍家重には脳性麻痺による言語障害があり、
その言葉を唯一理解できたのが
側用人の大岡忠光だったので重用され
老中をもしのぐ権力を持っていたという。
もともと城に石垣はなく土塁が中心で、
元荒川と広大な水堀に囲まれた平城であった。
鍛冶曲輪跡へ。
鍛冶曲輪跡から堀跡へ。
発掘調査でこのあたりに
障子堀があったことが確認されている。
障子堀といえば小田原北条氏の
特徴ともいえる築城技術。
この城が戦国末期に北条氏によって改修され、
重要な拠点とされていたことが伺える。