【何となく】から導かれて知ったこと。
こんにちは前回のブログから2ヶ月が経ってしまった月日が経つのってメチャクチャ早い本当は前回のこの続き『可哀想な私からの卒業』こんにちはさっき、このクソ暑い中エアコンも付けずラーメンを食べました(ちなみにサッポロ一番塩ラーメン)汗を流しながら食べるのが好きなの~今日は、昨夜、突然思い…ameblo.jpを書こうと思ったけれど……今日は、今思っていることをつらつらと書いてみたいと思う。1週間くらい前に、急に【般若心経】の意味を知りたくて1冊の本を注文した。【般若心経】は20代前半の時に仏壇の前で毎朝唱えていたのと、数年前にも唱えていたが、今はやっていない。20代の時には先祖供養のため、3年前のは憑依体質であるためにやっていたのだけど、お経の意味は知らなかった。(20代の時に、お経の意味は分からなくていいから毎日上げるといいよ。と、お坊さんに言われた)何故、急に意味を知りたいと思ったのか?いや、正直、分からないがただ、【何となく】知りたいと思ったのだ私は、何故か分からないけど?……と、【何となく】気になって行動することが昔から多かった。今回、分かったのは……【空】の意味を知るために、本を注文したっぽい。ということだ。ここで【空】とは?を書いたとしても、意味が深すぎて私には説明が出来ないその後、また【何となく】で買ったこの本でも般若心経と同じ意味【自分とか、ないから】と言ってる。自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学Amazon(アマゾン)1,617円20年前に、お坊さんから般若心経の意味を調べて唱えなさい。と言われてたらきっと般若心経は唱えていないと思う。だって、あの頃は全く理解出来なかったと思うから今までの人生の出来事を1つ1つ振り返ると、【これ】に行くつくために、すべての出来事が起きたように思うのだ。自分の【本質】に気付く。そして、自分の経験から、気付くのはタイミングがあるのでは?と思っている。20代だったらまず気付けなかっただろう。自我が強くバリバリ頑張っていたあの頃……しかし何をやっても上手くいかなかった30代、朝から晩まで仕事して、自分の生きがい(使命)を探し続けた40代、転機となるアメリカに行く。固定観念がハズレまくるが、生き辛さは変わらず。父の介護で帰国、日本に帰ってきて心理学を学ぶ。それでも一向に良くならない現実に、その後、10年以上、色んな心理療法、スピリチュアルを学び、真剣にインナーチャイルドやトラウマと向き合う。50代、無職になり、やっと気付く。問題解決に必要なのは、まずは自分を知ること。どの手法を使って問題解決するのか?とかではない。よく言うHow toではなくbeingである。絶望しながら【何となく】気になったセルフコンパッションを学び、自己受容の大切さに気付き、マインドフルネスを実践する。現在、【何となく】量子力学、仏教を勉強してる簡単にさらーっと書いたけど、ここに書けないようなこともたくさんある今思うと、すべての出来事は繋がっていて、【自分の本質に気付きなさいよ】とのメッセージだったと思えてならない。今まではあんまり真剣に考えたことがなかったけれど、今まで私が感じた【何となく】こそ、実は【本質】からのメッセージだったのではないか?と思う。そして、この【何となく】に従っていくことを【導かれる】というのではないだろうか?今、改めて自分の人生を振り返り、自分の人生を肯定出来たのかもしれない。嫌なことばかりあって、何度となく止めたいと思った人生だけどどれか1つ抜けても今の私はいないのだと思うと、なんか感慨深いな。何だか分からないけれど自分バンザーイって叫びたい読んでいる人は、この人何言っちゃってるの?何のこっちゃ?って、思うかもだけれど許してね