石井光太『物乞う仏陀』 文芸春秋 2005年

友達から紹介された本。
「物乞い」、「障がい者」に焦点を当て、
東南アジア、南アジアでの取材を、
国ごとにまとめた本。

こういう本を読むとき、
著者の考え方に、はまり込み過ぎない
ということを強く心がけている。

多くのことを捨象した上で、
伝えたいメッセージを伝えるため、
ひとつのストーリーを紡ぎあげている。

著者は「多くの人々の生き様をそのまま描写しようと努めた」(262頁)
としているが、”生活のために物乞いをしないといけない、
このような現状には、何らかの事情があり、誰かが悪いわけではない”
というメッセージがこめられていると感じた。

それを踏まえた上で、そのメッセージに誘導されずに、
この本を読んだ上で、どう感じたか、どうしようと思ったかが重要だ。

私はこう感じた。
人は現状を受け入れた上で、生きている。
その現状がどうであれ、外からああしたほうがいい、こうしたほうがいいなんて
思うべきではない。同情なんてすべきではない。
少なくとも、本を読んで理解したつもりになるのではなく、
ちゃんと現地に行って、自分の目で確かめることが大事だ。
その上で、もし何らかの関わりを持とうとするならば、全部の責任を負う覚悟で、
中途半端にすべきではないのではないか。
現地の人たちで生きていくシステムがもう作り上げられているのだから。
そう思う。頭の中ではそう思う。
でも、もし目の前に1ドルを必要としている人がいたら?
その1ドルで病院に行けたり、食事をしたり…。
また、井戸を作ったり、病院を作ることでも多くの人が助かる。
たとえ全部に責任が持てないとしても。

結局は、完全に関わるか、全く関わらないか。
その両極端な考えは、現実には正しくないのだろう。
出来ることを少しずつやるというのが、正解なのかもしれない。
でも、自分のやることがどういう意味を持っているのかは
常に自問自答し続けなければならないだろう。

印象に残った記述:
ネパールにおける呪術師であるザグリが悪魔祓いの後、
「つらかっただろう、もうすぐ痛みは去るからな」と言った。
これに対する著者のコメント。

「こうした言葉は普通に生きていてもでてくるものではない。
いつも他人の不安や恐怖について考え
同情していなければ思い浮かばない言葉だ。」


何気ない記述だが、これは意外と大きい。
呪術師にとっては何気ない一言で、
言葉自体はすぐに思いつく言葉だ。
しかし、これをちゃんと言葉にして言えるということは、
普段からそういう意識をもっていないと言えない。
何気ない言葉に、実はその人の凄さが凝縮されている。
「その人」というのは、結局は普段からの積み重ねだ。
普段考えていないことは言えない。


ちなみに、著者の石井氏のHPはこちら