大掃除は、新年を新しい気持ちで迎えるため年の瀬に行われるが、
年始も営業している店が多く、商業主義に侵されたイベント以外には
季節感が感じられない現代において、どれほどの意義があるかとも思われる。
しかし、大晦日という締め切りの存在は、どんなに時代が変わろうと
怠け者という性質は変わらない人間存在にとっては
やはり重要な意義が存在するのではないかと思慮する。
再び前置きが長くなった。
つまり、今大掃除をやっているということだ。
だが、この作業は頗る気が乗らない作業であり、
かつ、やり始めても大きな障害が存在する。
発見したものを、懐かしさのあまり、ついじっくり見てしまうということだ。
その想いが昂じてしまい、懐かしいと思うだけではなく、
ここで紹介しようという気になった。
大掃除を進める上での障害でしかないが、
これぐらいの楽しみが許されてもよいのではないかと
自己正当化をした上で、筆を続けることにする。
****
まずは、本の片付け。
『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹著)、『官僚たちの夏』(城山三郎著)、
『オシムジャパンよ』(トルシエ著)といった娯楽本、
『国連の政治力学』、『メディアと政治』、『基本民法Ⅰ~Ⅲ』(大村敦著)などの教科書、
『ライアーゲーム』『孤独のグルメ』『課長バカ一代』などの漫画…、
数少ない読んだ本でも、読んだときの自分が思い起こされる。
変わった本としては、『二つの祖国(中)』(山崎豊子著)。
電車で会った人に渡された本だ。
読んではいないが、東京で起こった奇譚の一つとして永遠に手元に残しておくだろう。
さて、ダンボールから出てきた懐かしの本をあげていく。
『他者の苦痛へのまなざし』(スーザン・ソンタグ著)
マダムと呼ばれていた語学の先生の授業での教科書。
写真なんてまるっきり興味がなかったが、カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」など、
この世界は切り取り方によって全然違うものに見えるということを強く感じた。
『仏教民俗学』
紀伊半島を旅するときに読んだ本。内容は覚えていないが、形だけでも勉強していくことには
意義があったと思う。台風が来ているのに、駅で野宿したのは良い思い出だ。
『教養主義の没落』(竹内洋著)
教養のある人間を目指していた。でも元来読書にさほど大きな楽しみを見出せない俗人には、
教養は全く身につかなかった。挫折した。しかし、教養への憧れは強く持ち続けている。
教養というものに対して、微妙な距離感があったときに読んだ本。
読んだからといって、何かが変わったわけではないが、教養のある人間を目指したいて
純粋だったころの自分を思い出した一冊だった。
『東京スイーツ』
…懐かしい。最近はすっかりご無沙汰だ。
やはり一緒に行ってくれる人がいないと使う気にはならない。
『恋愛なんかやめておけ』
…あれ、何、この本。いつ買ったんだろう。
しかも、読んだ形跡はない。世界の不思議の一つだ。
****
その他。といっても、あまり面白いものはない。
日記発見。日付は、2006年11月~2007年1月。
…なんだ、この中途半端さは。
週1回は遊びに行っていた。特に美術館へ。
ベルギー展、ダリ展、アンリ・ルソー展、仏像展、エッシャー展、アイドル展。
どの展覧会もまざまざと思い出せる。ん、何か変なのも混ざっている気もする。
そこの記述を見てみる。
「きらりんレボリューション ラブ&ベリーは、(以下略…)」
何も見なかったことにしよう。ちなみに、横浜美術館でやってたものだ。
**********
こうしているうちに、掃除は終わった。一日も終わった。
年始も営業している店が多く、商業主義に侵されたイベント以外には
季節感が感じられない現代において、どれほどの意義があるかとも思われる。
しかし、大晦日という締め切りの存在は、どんなに時代が変わろうと
怠け者という性質は変わらない人間存在にとっては
やはり重要な意義が存在するのではないかと思慮する。
再び前置きが長くなった。
つまり、今大掃除をやっているということだ。
だが、この作業は頗る気が乗らない作業であり、
かつ、やり始めても大きな障害が存在する。
発見したものを、懐かしさのあまり、ついじっくり見てしまうということだ。
その想いが昂じてしまい、懐かしいと思うだけではなく、
ここで紹介しようという気になった。
大掃除を進める上での障害でしかないが、
これぐらいの楽しみが許されてもよいのではないかと
自己正当化をした上で、筆を続けることにする。
****
まずは、本の片付け。
『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹著)、『官僚たちの夏』(城山三郎著)、
『オシムジャパンよ』(トルシエ著)といった娯楽本、
『国連の政治力学』、『メディアと政治』、『基本民法Ⅰ~Ⅲ』(大村敦著)などの教科書、
『ライアーゲーム』『孤独のグルメ』『課長バカ一代』などの漫画…、
数少ない読んだ本でも、読んだときの自分が思い起こされる。
変わった本としては、『二つの祖国(中)』(山崎豊子著)。
電車で会った人に渡された本だ。
読んではいないが、東京で起こった奇譚の一つとして永遠に手元に残しておくだろう。
さて、ダンボールから出てきた懐かしの本をあげていく。
『他者の苦痛へのまなざし』(スーザン・ソンタグ著)
マダムと呼ばれていた語学の先生の授業での教科書。
写真なんてまるっきり興味がなかったが、カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」など、
この世界は切り取り方によって全然違うものに見えるということを強く感じた。
『仏教民俗学』
紀伊半島を旅するときに読んだ本。内容は覚えていないが、形だけでも勉強していくことには
意義があったと思う。台風が来ているのに、駅で野宿したのは良い思い出だ。
『教養主義の没落』(竹内洋著)
教養のある人間を目指していた。でも元来読書にさほど大きな楽しみを見出せない俗人には、
教養は全く身につかなかった。挫折した。しかし、教養への憧れは強く持ち続けている。
教養というものに対して、微妙な距離感があったときに読んだ本。
読んだからといって、何かが変わったわけではないが、教養のある人間を目指したいて
純粋だったころの自分を思い出した一冊だった。
『東京スイーツ』
…懐かしい。最近はすっかりご無沙汰だ。
やはり一緒に行ってくれる人がいないと使う気にはならない。
『恋愛なんかやめておけ』
…あれ、何、この本。いつ買ったんだろう。
しかも、読んだ形跡はない。世界の不思議の一つだ。
****
その他。といっても、あまり面白いものはない。
日記発見。日付は、2006年11月~2007年1月。
…なんだ、この中途半端さは。
週1回は遊びに行っていた。特に美術館へ。
ベルギー展、ダリ展、アンリ・ルソー展、仏像展、エッシャー展、アイドル展。
どの展覧会もまざまざと思い出せる。ん、何か変なのも混ざっている気もする。
そこの記述を見てみる。
「きらりんレボリューション ラブ&ベリーは、(以下略…)」
何も見なかったことにしよう。ちなみに、横浜美術館でやってたものだ。
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こうしているうちに、掃除は終わった。一日も終わった。