・・・その3につづきます。
そんな風に、
湧き上がる思考(考え)、感情(気持ち)と、
どのように「向き合って」いますか?
やり過ごしているのでしょうか。
「終わりにしたい」と思いませんか?
この「苦しみ」を。
「卒業したい」と思いませんか?
こういった考えに基づく日々を。
・・・
「自分が正しく、相手が間違っている」
そう信じているとき。
人間は「外側を変えよう」と努力します。
つまり、「相手を変えよう」とするのです。
部下を変えようと圧力をかける。
あるいは避ける、排除する。
上司を変えようと批判する、攻撃する。
あるいは無言で指示に従わない。陰口をいう。
これは「本当の自分」の姿なのでしょうか?
このような日々の中で、あなたの心は平和でいられますか?
外側を変えようとせず、「あきらめる」。
という選択もあるでしょう。
私はもうあきらめた。
もう何をいっても何をしても無駄だから。
与えられたことを目立たずにやっておこう。
それで毎月の給料はもらえるんだから。
それで充分だよ。
ああ、そんなものだろうよ。
・・・
こんな「割り切り」の声が、頭を巡ることもあるでしょう。
さて、これは「本当の自分」の声なのでしょうか?
このような「あきらめ」の中で、
あなたは心の底から安らいでいるのでしょうか?
・・・
外側を変えようと努力をしている人。
もはや変わらないと疲弊している人。
改めて言いますが、それに「良いも悪い」もありません。
ただ、「どう在りたいか」、だけです。
「自分が正しく、相手が間違っている」と信じ、
外側を変えようとする努力に疲れて限界がやってくる。
それとは対照的に。
「自分が間違っている」と信じ、
自分を変えようとする努力に疲れて限界がやってくる。
そういう方も沢山いるのではないでしょうか。
そんな体験が!
そんな強烈な体験が!
ようやくあなたを眠りから目覚めさせ、
自分の人生が、
自分が生きている世界が、
どういった法則に基づいて展開されているのか。
あなたは心底知りたくなり、
そして、ようやく思い出すでしょう。
そう、「思い出す」のです。
この「苦しみ(ストレス)」が生じる「構造」を紐解き、
別の次元から、
いま自分が置かれている状況を見ることをはじめます。
すでに知っていることを、思い出す。
そう、忘れているだけなのです。
思い出すために!
すでにこの「意識の進化」をはじめた人に、
「わかりやすく」説明してもらってください。
「意識の進化」をはじめ、
組織の中で働きながらも、
100%自分の意識状態に、感情に責任を持ち、
かつ、常に中立で穏やかにいられる。
目覚めのプロセスを始めた人。
そんな人はどこにいるのでしょうか。
わたし(ひろいさとる)、がその一人です。
・・・最終回へつづく。
・・・その2のつづきです。
組織の考えがどうしても「許せない」とき、
「頭の中のおしゃべり」は暴走していきます。
あの人はおかしい。
あの人の考えは間違っている。
私の考えは正しい。
私の考えこそ、社員にとって一番いいはず。
社長は異常だ。
あの社長だから、こんな会社になったのだ。
この会社がしてきたことは最悪だ。
だから私は働きがいを感じられないのだ。
この業務のあの部分にああなってほしい。
あの社員のあの部分がこうなってほしい。
そうならないことが、許せない。
私がこんなにも正しい考えを主張しているのに。
会社はまったく取り合ってくれない。
私の正しさを誰も認めてくれないのが、不満で仕方ない。
それでも私は我慢してきた。じっと耐えてきた。
会社のためにと必死に努力してきた。
なのに、なんでもっと良くならないのだ?
もう限界だ、もうこれ以上続かない。
でもやめるわけにはいかない。
辞めるというのは逃げることになる。
逃げるのは弱虫がやることだ。
わたしはそんなに弱い人間だと思われたくない。
それに周りにも迷惑がかかる。
あの人にお世話になりながら、投げ出してしまっては申し訳ない。
それに加えて心配なのは、お金だ。
給料をもらって、家族を養っている以上、
これは自分の精神を鍛えるために起きていることと肝に銘じて、
頑張るしかない。乗り越えるしかないのだ。
・・・
このような思考が、
頭の中を何度も、何度も、何度も。。
駆け巡ることでしょう。
あるいは自分自身が組織の中枢で権限を持ち、
自分が大切だと信じていることと、
部下たちが大切だと信じていることに、
大きな「ギャップ」があるとき。
それがあまりに大きすぎて、どうしても「許せない」とき。
苦しみ(ストレス)は同じようにやってきます。
彼らは間違っている。
彼らは努力が足りない。
私の正しい考えがなぜ伝わらないのだ。
なぜ私が考える通りに動かないのだ。
信じられない。
私が彼らの頃はもっと死ぬ気で頑張った。
会社のため、上役の言うことに従って、
プライベートを犠牲にしてまで、働いた。
それに比べて彼らは遅い。
物事を知らなすぎる。
彼らがこのままでは会社は崩壊する。
彼らを変えなくてはいけない。
たとえ強制してでも、彼らを鍛え上げなければ、勝つことが出来ない。
それでは私も困るんだ。
私にも責任がある。責任を果たさなければ、成果を出さなければ、
私の責任が追求され、私は今のポストを失うことになる。
失うわけにはいかない。
それは恥である。それは敗北である。
そんなことが起きたら、私の生活も危ぶまれるし、
私の自尊心に傷がつく。
そんなことには絶対にさせやしない。
・・・
このような思考が、
頭の中を何度も、何度も、何度も、駆け巡ることでしょう。
みなさん、心当たりはありませんか?
そんなとき、皆さんはどうしていますか?
・・・つづく。
組織の考えがどうしても「許せない」とき、
「頭の中のおしゃべり」は暴走していきます。
あの人はおかしい。
あの人の考えは間違っている。
私の考えは正しい。
私の考えこそ、社員にとって一番いいはず。
社長は異常だ。
あの社長だから、こんな会社になったのだ。
この会社がしてきたことは最悪だ。
だから私は働きがいを感じられないのだ。
この業務のあの部分にああなってほしい。
あの社員のあの部分がこうなってほしい。
そうならないことが、許せない。
私がこんなにも正しい考えを主張しているのに。
会社はまったく取り合ってくれない。
私の正しさを誰も認めてくれないのが、不満で仕方ない。
それでも私は我慢してきた。じっと耐えてきた。
会社のためにと必死に努力してきた。
なのに、なんでもっと良くならないのだ?
もう限界だ、もうこれ以上続かない。
でもやめるわけにはいかない。
辞めるというのは逃げることになる。
逃げるのは弱虫がやることだ。
わたしはそんなに弱い人間だと思われたくない。
それに周りにも迷惑がかかる。
あの人にお世話になりながら、投げ出してしまっては申し訳ない。
それに加えて心配なのは、お金だ。
給料をもらって、家族を養っている以上、
これは自分の精神を鍛えるために起きていることと肝に銘じて、
頑張るしかない。乗り越えるしかないのだ。
・・・
このような思考が、
頭の中を何度も、何度も、何度も。。
駆け巡ることでしょう。
あるいは自分自身が組織の中枢で権限を持ち、
自分が大切だと信じていることと、
部下たちが大切だと信じていることに、
大きな「ギャップ」があるとき。
それがあまりに大きすぎて、どうしても「許せない」とき。
苦しみ(ストレス)は同じようにやってきます。
彼らは間違っている。
彼らは努力が足りない。
私の正しい考えがなぜ伝わらないのだ。
なぜ私が考える通りに動かないのだ。
信じられない。
私が彼らの頃はもっと死ぬ気で頑張った。
会社のため、上役の言うことに従って、
プライベートを犠牲にしてまで、働いた。
それに比べて彼らは遅い。
物事を知らなすぎる。
彼らがこのままでは会社は崩壊する。
彼らを変えなくてはいけない。
たとえ強制してでも、彼らを鍛え上げなければ、勝つことが出来ない。
それでは私も困るんだ。
私にも責任がある。責任を果たさなければ、成果を出さなければ、
私の責任が追求され、私は今のポストを失うことになる。
失うわけにはいかない。
それは恥である。それは敗北である。
そんなことが起きたら、私の生活も危ぶまれるし、
私の自尊心に傷がつく。
そんなことには絶対にさせやしない。
・・・
このような思考が、
頭の中を何度も、何度も、何度も、駆け巡ることでしょう。
みなさん、心当たりはありませんか?
そんなとき、皆さんはどうしていますか?
・・・つづく。
・・・その1の続きです。
「本当の自分」ではなく、
「頭で造り上げた自分」で生きていくこと。
きっと私たちの親もそうでした。
そのまた親もそうでした。
そのまた親も。
ずっと、ずっと前から。
ずっと、受け継がれてきたことでしょう。
そして私たちが同じような構造で生きる限り、
次の世代へとそのまま「受け継がれて」いくことでしょう。
それ自体に良いも悪いもありません。
ただ、事実、そうである、というだけです。
皆さんは、
いままで「頭で造り上げた自分」で生きてきたと聞いて、
ピンと来ましたか?
そのことを「受け入れる」ことができるでしょうか。
それとも、「そんなはずはない!」と、
抵抗したい気持ちが湧き上がってくるでしょうか。
いずれも「自由選択」です。
どれが「良いも悪い」も、
「優れているも劣っているも」ありません。
完全に中立な力の基に、
私はこれを書いています。
自分はいままで、
「頭で造り上げた自分」で生きてきたのではないか?
「本当の自分」の姿が、この姿であったと言い切れるのだろうか?
いまの自分が考えている「思考」。
いまの自分が使っている「言葉」。
いまの自分が感じている「感情」。
いまの自分が取っている「行動」。
それらが本来の純粋な自分の姿だ、と言い切るには、
なにか、「違和感」がある。
そんな「気づき」が生まれてはいないでしょうか。
はっとして、少しこのことを洞察したくなるような。
このことが真実かどうかを、確かめたくなるような。
そんな「欲求」が生まれてはいないでしょうか。
ぜひ、自分の内側に意識を向けてください。
「本当の自分」って何?
「本当の自分」なんてあるの?
一体何のことだろう??
そんな「疑問」が生じている方もいるかもしれません。
「次の扉」を開けたくなるような欲求。
それが生じた方は、この文章を読むことが、
「眠りから目覚めるきっかけ」になることでしょう。
「頭で造り上げた」「給料をもらうため」の自分。
多くの人たちは今日も、
その状態で、勤務先へと出かけていきます。
そんな社会人生活の中で、
自分の「考え」と、組織の「考え」に、<ずれ>があるとき。
自分が大切だと信じていることと、
会社が大切だと信じていることに、
<ギャップ>があるとき。
それがあまりに大きすぎて、どうしても「許せない」とき。
私たちは苦しみ(ストレス)の中に入っていきます。
・・・ つづく。
「本当の自分」ではなく、
「頭で造り上げた自分」で生きていくこと。
きっと私たちの親もそうでした。
そのまた親もそうでした。
そのまた親も。
ずっと、ずっと前から。
ずっと、受け継がれてきたことでしょう。
そして私たちが同じような構造で生きる限り、
次の世代へとそのまま「受け継がれて」いくことでしょう。
それ自体に良いも悪いもありません。
ただ、事実、そうである、というだけです。
皆さんは、
いままで「頭で造り上げた自分」で生きてきたと聞いて、
ピンと来ましたか?
そのことを「受け入れる」ことができるでしょうか。
それとも、「そんなはずはない!」と、
抵抗したい気持ちが湧き上がってくるでしょうか。
いずれも「自由選択」です。
どれが「良いも悪い」も、
「優れているも劣っているも」ありません。
完全に中立な力の基に、
私はこれを書いています。
自分はいままで、
「頭で造り上げた自分」で生きてきたのではないか?
「本当の自分」の姿が、この姿であったと言い切れるのだろうか?
いまの自分が考えている「思考」。
いまの自分が使っている「言葉」。
いまの自分が感じている「感情」。
いまの自分が取っている「行動」。
それらが本来の純粋な自分の姿だ、と言い切るには、
なにか、「違和感」がある。
そんな「気づき」が生まれてはいないでしょうか。
はっとして、少しこのことを洞察したくなるような。
このことが真実かどうかを、確かめたくなるような。
そんな「欲求」が生まれてはいないでしょうか。
ぜひ、自分の内側に意識を向けてください。
「本当の自分」って何?
「本当の自分」なんてあるの?
一体何のことだろう??
そんな「疑問」が生じている方もいるかもしれません。
「次の扉」を開けたくなるような欲求。
それが生じた方は、この文章を読むことが、
「眠りから目覚めるきっかけ」になることでしょう。
「頭で造り上げた」「給料をもらうため」の自分。
多くの人たちは今日も、
その状態で、勤務先へと出かけていきます。
そんな社会人生活の中で、
自分の「考え」と、組織の「考え」に、<ずれ>があるとき。
自分が大切だと信じていることと、
会社が大切だと信じていることに、
<ギャップ>があるとき。
それがあまりに大きすぎて、どうしても「許せない」とき。
私たちは苦しみ(ストレス)の中に入っていきます。
・・・ つづく。