磁器は中国→朝鮮→日本→ドイツ(マイセン窯)→オーストリア(ウィーン窯)→イタリア(ジノリ窯)→デンマーク(コペンハーゲン窯)の順に伝来した?
最初に磁器を開発したのは中国である事に間違いは無い。以下、焼成に成功したのは順番も間違いない。しかし、ソフト技術の伝搬した事によって焼成に成功したのではないトコロもある。この違いは非常に大きい。
磁器焼成に成功した中国は輸出による利益を守るため、国外に技術が漏洩するのを防でいた。
朝鮮では中国から輸入したハードはあったが、技術・情報と言ったソフトを入手する事は出来なかった。陶工たちは試行錯誤の上、焼成に成功(16世紀)したのである。
日本でも中国から輸入したハードはあった。しかし、自分たちの力で作ろうとした形跡がない。
秀吉の朝鮮出兵が失敗に終わり、引き上げる時に朝鮮から陶工を連れてきて、後に焼成できるようになる。(17世紀)
ヨーロッパでも中国や日本から輸入したハードは古くから存在し、15世紀より各地で焼成を試みる動きがあった。しかし、こちらもソフトは伝わらず、18世紀に入ってようやくドイツのマイセン窯で焼成に成功したのである。
マイセンではソフトを数人にセッションごとに分散させて技術が漏洩を防ぐ策を取っていた。程なく、ソフトを手土産に幹部クラスの一人が、オーストリアのウィーン窯にヘッドハンティングされる。しかし、この人間は確実な焼成法を知らなかったので、すぐに磁器を焼く事は出来なかった。この後、もう1人の幹部がヘッドハンティングされて磁器焼成の秘宝がウィーン窯にわたった。この時マイセンでは染め付け(コバルトの下絵付け)を完成させていたが、カラフルな上絵付けの絵の具までは開発できていなかった。
やがて、ウィーン窯の経営が思わしくなく、ハントされた2人は不満を募らせ、磁器焼成の秘宝をもたらした1人はイタリアのジノリ窯・デンマークのコペンハーゲン窯へと転々とし、磁器焼成の秘宝は瞬く間にヨーロッパに広まっていった。
また、始めにハントされた1人は再びマイセンへと戻って行く事になるが、この時の手土産として持ち出したのは、ウィーン窯で開発された色絵付けの絵の具とトップマイスター(絵付け師)であった。

 この様に技術開発には甚だ時間が掛かり、涙ぐましい努力の上に築き上げるモノであるが、権力や財力にモノを言わせ横取りするようにソフトを入手すると短期間で物事が成就して行く。
 窯業の経営は難しく、中々、採算ベースを築く事は難しい。王侯貴族がパトロンとなって財政にテコ入れをして何とか続けて行ける窯が多くあった。その後、産業革命時に大きな変遷があり、生産能力効率を考えたイギリスの各窯が力を持つようになった。マイセンの様な窯でも緻密な絵付けに多くの時間を割いたり、造形美に渾身の力を振り絞って作成しても生産量と売り上げのバランスがとれず、一時期ウエッジウッドのジャスパーウエアをまねたモノを作っていた時代もあった。