私が1番問題にしたい部分は評価のあり方です。
1番良い車は何ですか?と問われてアメリカと日本では必ず違いが出てくるはずです。
プラットホームの違いが違いすぎるからです。
 現在、言い切り先行や拡大解釈によって本質から外れてしまった内容を多く見かけます。
世の中に起こる出来事・力・流れと言ったモノは人間社会でも自然科学の範疇でも、アクションに対して正比例したリアクションが返ることはまずありません。
このマイノリティーリポートは、そうした性質を現在に流れる大筋から少し離れて全体を見渡す視野で作成したいと考えています。
よく見えるのは顕微鏡それとも望遠鏡?
誰かが声を大にして望遠鏡といった事が連鎖的に広まり、対象物が無くなっても望遠鏡の方がよく見えるとなってしまったて言う同様の事を非常に多く見受けます。
この質問自体とても馬鹿げていますが、これに類似したQ&Aをよく見かけます。
修飾が少な過ぎ、どの様な対象物を見るのかによって答えはまるで違います。
 また、回答も修飾が少な過ぎたり、Dataの開示がされていなかったりしています。
これだと特定部分に対しては正解になるのですが、全体を見渡すとかなり外れた表現となります。
更に、伝達過程において起こる拡大解釈の連鎖反応によって、理論が一人歩きを始めます。
 コーヒーも同様にある部分を拡大解釈した説明が一人歩きしているモノがたくさんあります。

 世界的なテースト評価とのギャップ
コーヒー輸入国の家庭における抽出方法は、何と言ってもコーヒーメーカーが1番多いと考えられます。
2番目はその国の事情によって多少異なると思いますが、日本のように抽出に対して手間暇をかけている国はないと思います。
特に、自家焙煎店で豆を買う人は、もしかすればドリップとコーヒーメーカーの順位が入れ替わるぐらい多いのではないかと推測されます。
コーヒーメーカーに対して良い評価が出来る豆と、ドリップに対して良い評価が出来る豆の範囲は大きく異なってきます。
それは焙煎方法にも現れ、自ずとプラットホームに合わせているはずです。
これは、カッピング時の抽出方法と違いがあると思われるかもしれませんが、マイナスになる部分が強ければ全体評価が下がるのは同じです。
今のところ、コーヒーメーカーの場合はヘビーな味にしてしまうと、抽出湯温・時間の関係で必ず抽出したくない味が出てきます。
しかし、焙煎や抽出においてそのテーストにとってのマイナス面をやわらげる事は可能です。(存在するモノを少なくする。または、少なく感じさせる。)
それが出来ると隠れていたモノが出現し、あたかも焙煎や抽出によって付け加えられた様に錯覚するほどの違いが出てきます。
これはそれぞれの味覚成分に対する感受性(伝達スピード・優先順位など)に違いがあるからです。
但し、実際には存在しないモノを焙煎や抽出の技術によって付け加えると言う事は不可能です。
あくまで、隠れて存在していた成分がマイナスの香味を取り除いた事で表面化する事を指します。
例えば、サンプルロースト10cupの結果が下記のような評価のA,Bと言う豆あったと仮定します。
A, 甘み3/苦み3/酸味3/渋み0/ハード1 総合4
B, 甘み2/苦み4/酸味3/渋み5/ハード4 総合1
プラットホームの対象がコーヒーメーカーの場合の総合評価は A,の方が勝ります。
これがドリップの場合だったらどうでしょう?B,の魅力も捨てがたいはずですネ。
更に同じ豆でも焙煎・抽出を変えたら次のような評価になるかもしれません。
A, 甘み3/苦み3/酸味3/渋み0/ハード1 総合3
B, 甘み5/苦み4/酸味2/渋み1/ハード2 総合4
 上下記のBは同じ豆であるにもかかわらず、焙煎・抽出を換え渋みやハードテーストを削る事で強い甘みを感じます。
総合評価も当然上がります。
一方Aは上記評価で癖のない円やかなコーヒーとして照合評価は4となっていましたが、下記の焙煎・抽出をでBと比較したら味のない単調な味に感じ総合が3となりました。
 このように見方や評価方法を変えただけも優劣は大きく変わってきます。
 また、自家焙煎も日本のようにたくさん存在している国はないと思います。
実際に味がどうのこうのと言う部分は主観が入るのでここでは述べませんが、産地の倉庫から在庫していた豆が見つかったときに日本以外で価値が認められない(買い手の付かない)場合でも、日本ではプレミアムが付くことがあります。
やはり焙煎や抽出の方法が一方向ではないことを示唆している事と思います。

 生産地が1500mを超える様な場所の地では気圧の関係で焙煎・抽出はかなり違ったモノになってしまうと考えられます。
生活圏が更に高い標高の国もあり現地でのテーストと、標高の低い場所でのテーストとには必ず隔たりが出るはずです。
 また、豆自体の保持力の違いや保管・輸送方法による品質劣化のスピードにも違いが生じ、現地のテースト時には最高品質と感じたモノでも実際手元に届いたら明らかに異なったテーストになっている事などを考えると、
テレビの送信側と受信側が同一の信号変換をしなければ再生しても同じモノにならない事と同様に
プラットホームの段差を最小限に止めなければいけないと思います。

 農園主だけが良質のモノを作ろうとしても、そこで働く人たちすべての意思統一は困難を極めることと思います。
永続的に高品質に向かって行こうとするには、消費する人に対して良いモノを渡そうと言う概念が生じなければ無理だと思えます。
そこまでの統一は非常に難しい事だと思われます。