<続き>


今回は、例えの理屈で、お話しします。



ここで、わかる言葉を日本語、

わからない言葉をチベット語とします。




Dさんにとって、

「考えすぎる」という言葉は、頭の中のゴチャゴチャを実感し、その実感を表現できます。



つまり、Dさんにとって
「考えすぎる」という言葉は、日本語です。



  「考えすぎる」という日本語 → Dさんは、日本語なので、わかる



    (場合によっては、
     この言葉もわかりにくくなっている人もいますが)



  ………………………………


ところが、
Dさんにとって、


「考えすぎない」という言葉は、
頭の中がゴチャゴチャのない状態です。



Dさんは、


この言葉の状態を
想像できない、実感できない、つくれないわけです。



つまり、
この「考えすぎない」という言葉は、
Dさんの頭や体にとって、チベット語となっています。



  チベット語の「考えすぎない」 → 日本語では、わからない


となりますが、
チベット語だからわからないのは当然です。



だから、
ここで「考えすぎない」というチベット語を翻訳することで、
その内容がわかり、できるようになります。



 「考えすぎない」という言葉 → (翻訳)→ わかるようになる





<続く>



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