<続き>
今回は、例えの理屈で、お話しします。
ここで、わかる言葉を日本語、
わからない言葉をチベット語とします。
Dさんにとって、
「考えすぎる」という言葉は、頭の中のゴチャゴチャを実感し、その実感を表現できます。
つまり、Dさんにとって
「考えすぎる」という言葉は、日本語です。
「考えすぎる」という日本語 → Dさんは、日本語なので、わかる
(場合によっては、
この言葉もわかりにくくなっている人もいますが)
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ところが、
Dさんにとって、
「考えすぎない」という言葉は、
頭の中がゴチャゴチャのない状態です。
Dさんは、
この言葉の状態を
想像できない、実感できない、つくれないわけです。
つまり、
この「考えすぎない」という言葉は、
Dさんの頭や体にとって、チベット語となっています。
チベット語の「考えすぎない」 → 日本語では、わからない
となりますが、
チベット語だからわからないのは当然です。
だから、
ここで「考えすぎない」というチベット語を翻訳することで、
その内容がわかり、できるようになります。
「考えすぎない」という言葉 → (翻訳)→ わかるようになる
<続く>