Chihiro Satoさんの投稿。①世界中で今、ロシア人が攻撃されるような空気で、ドイツでもロシア系の子供が学校でいじめに遭ったり、ロシア系の人がやっているお店が妨害受けたりしているらしい。今行われているウクライナの戦争で、西側の主流メディアはロシアが一方的に悪いと言い続けている。

②だからロシア人を攻撃するのが平和をもたらす道であるかのように、多くの人は思わせられてしまっている。ロシアが一方的に悪いのかどうかなんて、そう簡単に決められることではないと思うし、ましてや長いこと国外に住んでいたロシア人には何の責任もないのに。

— 細川ひろしファンクラブ (@MdHosokawa)
April 9, 2022 ">

③それでもメディアに焚きつけられてロシア人を差別するのが当然みたいな空気ができてしまっている。これは80年前のドイツで、ユダヤ系の住民に起こったことと同じだと何人かのドイツの人が言っていた。ユダヤ人の店には行かないようにという空気ができ、営業妨害みたいなことをしてもいいみたいな。

④そんな空気ができて、ユダヤ系の人間を差別するようにプロパガンダで誘導されていったのだと。それが終いにはホロコーストのようなことになり、第二次世界大戦後、ドイツではナチが厳しく禁じられることになった。ナチ的なことを発言したり、ナチのシンボルなどを使うのも違法になり、罰せられた。

⑤ところが今、名前が変わり、差別する対象が変わった。同じことがまかり通っているのだ。ユダヤ人がロシア人に変わっただけで、起こっていることはまったく同じなのに。つまるところファシズムは、差別意識を植えつけることによって人を分断し、集団的攻撃に駆り立てていく支配メソッドだと思う。

⑥ある民族、あるグループが人間として劣っている種族だとか、世の中に危害を加える悪い人たちなのだという意識を植えつけると、人はそういう人間に自分が属していると思われたら大変だという恐怖感がかき立てられる。その結果、そのようにならないようにするため、何でもやるようになってしまうのだ。

⑦それが人を不当に差別することだとか、理由もなく侮辱したり、暴力を加えるようなことであってもだ。
 ウクライナで8年前から事実上政府を支配しているのはアゾフ連隊というナチそのものの復活といえるような準軍隊で、これはナチス時代のドイツのナチ親衛隊とまったく同じような組織であるらしい。

⑧それはオリバー・ストーン監督のウクライナ三部作などを見てもわかるし、今ドンバスの現場から送られてくるさまざまな動画を見ても、疑う余地はないと思う。アゾフ連隊は、ロシア人は害虫のようなものだから、皆殺しにするべきだという考えを吹き込まれていて、それを隠しもしていない。


アゾフのシンボル


⑨彼らはハーケンクロイツとナチの親衛隊のマークを組み合わせたようなシンボルを使っていて、そのシンボルの入ったTシャツや旗などがドイツのアマゾンでも売られているそうだ。ドイツではハーケンクロイツも禁じられているのに、アゾフ連隊のシンボルは公然と使われている。


ハーケンクロイツ


⑩名前が変わっただけで、同じものであるのにもかかわらず。アゾフの集会で、舞台上のリーダーが「皆ジャンプしろ、ジャンプしない奴はロシア人だ!」と言っていて、参加者が全員ピョンピョン跳んでいる場面がドキュメンタリーの中にあった。なぜ「跳ばないのはロシア人だ」ということになるのか。

⑪それは分からないが、そう言われた人々はロシア人に思われないようにと一生懸命ジャンプし続けていた。これはつまり、言う通りにしないのは異端者、排除されるべき人間だ、ということだ。ロシア人は害虫で、殺してもいいというのだから、異端者とみなされたら生きる権利もないことになる。

⑫人々が豊かでないのはロシア人がすべて悪いみたいに言われ、ロシア人を排除すれば国はよくなるんだみたいなことを吹き込まれている。それですべての攻撃性をロシア人に向けさせられている。ところが、その結果、まかり間違ったら自分が差別される対象になることを受け入れてしまっている。

⑬そして、差別されるべき対象にならないためにと、リーダーの言うことに何でも従うモードになってしまう。人に与えたものは必ず自分に返ってくる、というあの宇宙の法則をここでも思い出す。人にすることは、実はその人が自分自身にしていることだ。

⑭人を差別する人は実のところ、自分が差別される恐れを持っていて、その恐れに支配されている。差別することで、自分が差別される側にならないですむと思い込んでいるのだけれど、その結果、自分の人権も支配者の手に渡してしまっている。「xxをしないやつはロシア人だ!」と言われたら、何でもする。

⑮パンデミックの時は、政府の対策に抗議する人たちをドイツでは「ナチ」と言っていた。別にこの人たちがナチ的なことを発言していたわけではない。それなのにナチだとか極右だとか、メディアで盛んに宣伝され、何も知らない人たちは何を言っているのかも考えず「ナチだから悪い」と思い込んでいた。

⑯ナチは悪いに決まっているのだから、そういうことは発言することさえも違法だと、多くの人は反射的にそう思ってしまう。ナチに反対するのはファシズムと逆なのだと多くの人は思い込んでいるが、「ナチ」がこういう風に差別用語として使われた場合、それ自体がファシズムになってしまう。

⑰「こいつはナチだ」と言われれば、その人は発言の権利さえない。そして皆は「ナチ」にならないようにと、そういう議論を聞かないようにし、さらにはそういう人を攻撃するべきだとさえ思い込む。そうやって何を敵にしようが、差別意識をかき立てるべく煽られたら、支配者の思うまま誘導されてしまう。

⑱ユダヤ人だろうとロシア人だろうとナチだろうと、集団で括って差別する概念として使われる時、人を集団暴力に駆り立てる力を持ってしまう。これこそファシズムだ。何を差別の対象にするかは関係ない。ゼレンスキーはユダヤ人だからナチな訳がないという議論もあったらしいが、そういう問題ではない。

⑲怒りを込めて批判する人の発言や、犠牲になった人の嘆きの声などがメディアで繰り返し流され、批判される側にならないようにと、自分の行動を合わせてしまう。それで皆が集団で同じ行動を取り、同じように考えるという状況ができあがってしまう。

⑳パンデミック対策に抗議する人たちの間で、人権を守れということが言われていたが、それはファシズム的状況になったとき、まず犠牲にされるのは人権だからだ。どんな人間であれ、平等に生きる権利があるということ。それぞれの考えを持ち、発言する権利があるということ。

㉑ファシズムの状況になると、人権が真っ先に消されていく。どんな人間でも人間として大事に扱うということは、自分自身を大事に扱うことでもある。どんな人間だろうと差別されるべきではないという考え、すべての人間には平等に人権があるという考え、それこそが今忘れられそうになっているものだ。

㉒だがそれを忘れたら、人が人を大事にしない世界を作り出してしまう。人は誰でも人として大事に扱われるべきということを、今私たちは思い出すべきだ。世の中がどんな状況であれ、断固としてその場所に私たちは留まるべき。それこそがファシズムを防ぎ、世界を支配から解放する唯一の道と思う。終