ウクライナは

パンデラ主義者の国


ウクライナのネオナチに崇拝されるパンデラとは 





1940年初頭、ウクライナの民族主義者組織の最も過激な民族主義者らは、



ステパン・パンデラを指導者として選びました。



特に反ユダヤ的で反共産主義者であった彼は、1941年にウクライナの独立を宣言しました。



このような自己中心的な行動により、同盟国であるドイツに嫌われることとなり、



第二次世界大戦中ほぼすべての期間、彼は獄中に置かれることになりました。



パンデラは表舞台に登場しなくても、彼のイデオロギーを広めることに成功していました。



悪名高い非道な虐殺は、1941年9月29日と30日にキエフのバビ・ヤールで行われました。



キエフ市とその近郊のすべてのユダヤ人は、



9月29日月曜日の朝8時までに出頭しなければならない。



書類、金品、貴重品、また温かい衣類、毛布、その他を持参すること。



命令に従わなかったユダヤ人は射殺されました。



ナチスとウクライナ民兵によるこの2日間の作戦で33.771人のユダヤ人が殺されました。



ウクライナの反乱軍が行った、もうひとつの非道な行為として、



ウクライナ民族主義組織パンデラ派は、



ドイツ占領下のポーランドのヴォリンと東ガリシアで大虐殺を行いました。



このポーランド人の虐殺は、ミコラ・レベドが主導しました。



ヴォリンでは35.000から60.000人が殺害され、




東ガリシアでは、25.000から40.000人が殺害されました。



このように大規模な民族浄化作戦が行われたのです。



ドイツ軍の敗北が避けられないと判断したウクライナ民族主義者組織は、



かつての同盟国に見切りを付けドイツ軍とソ連軍に対等に戦いを挑むようになりました。


(文字起こし終了)





2019年、キエフのショッピングモールの階段に公然と現れたハーケンクロイツ。バンデラアベニューという通りにあるそうだが、パンデラは1943年7月11日(←日付にも注目)にポーランド人の虐サツ(ヴォルィーニ虐サツ)を行ったウクライナ人。ステパン・バンデラで調べて。





パンデラはオリバー・ストーンのドキュメンタリーでナチスにすら危険人物視されて監獄に入れられていた




ロシア軍をゴキブリと呼ぶ市長の後ろにパンデラの肖像画



ロシア軍がウクライナのコノトプ市長の執務室に入ると、彼は彼らを護送し、彼らが車で去ることを確認した。


「私たちは、このロシアゴキブリを倒すために、最後まで、そして勝利するまで戦う準備ができています」と彼は言います。

(以下のライン翻訳)

When Russian troops came into the office of the mayor of Konotop, Ukraine, he escorted them out and made sure they drove away.

"We are ready to fight till the end — till the victorious end — to defeat these Russian cockroaches," he tells
@nickschifrin. https://t.co/KS5DIvofpZ pic.twitter.com/BqoU7NLL0c

— PBS NewsHour (@NewsHour) March 3, 2022 ">



ウクライナ政権の擁護者は『🇺🇦はネオナチ政府ではない』と言うが、コノトプ市市長インタビューの際、ヒトラーに協力したステパーン・バンデーラの肖像画が映ってしまう。『バンデラ主義者』はナチスのタイマツ行進を好んで行いネオナチであることを誇示。そんな市長が『ロシアのゴキブリを打ち負かす』 


日本の国会では平成26年に自民党の鈴木貴子議員により『ナチスに協力したバンデラ主義(リプ元参照)の信奉者らが銃を乱射し政権を奪っている。ウクライナ政府には危険な傾向がある』と国会質問をしている。

ウクライナ擁護者は、ウクライナ政権のナチ色とDS色を消そうと必死だが、完全にナチスト政権


まさかウクライナの歴史まで勉強すると思わなかった😅

各国で『ロシアも褒められないけど、ウクライナのナチスト政権を応援しちゃってるうちの国はやばいでしょ』という世論に傾くと、💉も🇺🇦も医療マフィア&戦争屋=DSが諸悪の根源、という方向にさらに流れると思う。


日本の平均的な世論は、恐らく全くそこまでいっていない。💉も中止になるどころか絶賛3回目推進で子どもまで接種だし、『3回目打つかな』『ロシアって怖いね』『物価上がって嫌だわ』程度だろう。この洗脳を解かないと経済も健康レベルも生活レベルも、断続的低下傾向に歯止めはかからないと思う。

— MasaDjp (@masjp72) March 6, 2022 ">




何も考えずに生きろ、何も気にせずお上に任せとけばいいんだ、というのが鎖国政策以来の日本的思考であり、女王の教室『日本は特権階級が楽しく豊かに暮らすために庶民が寝る間を惜しんで働く国』であり、その『奴隷島国根性DNA』を自ら書き換えないと何も変わらない。


DNAを書き換えるにはどうするか?
例えば『減塩は体に良い』は大嘘で塩が血になり適度にとらないと体内が活性化せず悪玉菌が増え健康とは真逆だが、なぜ真逆が常識になっているのか?まで調べたら良い。悪玉菌が増える→ガン検診でガンと診断→高額な癌治療で儲ける、このためのプロパガンダであり、

— MasaDjp (@masjp72) March 7, 2022 ">


常識を疑う→考える→Duckduckgoなど偏向的でない検索で調べる。様々に語句を変えて調べる。出てきたものから派生する話も色々見る。などをやってると、きっかけは例えば減塩にまつわる話を調べただけでも様々な真実の知識が身につくし、消費行動も健康状態も脳波も変わり、徐々にDNAが書き換わる。


そのように、『世間体や空気感に立脚した思考と血肉』から、『真実に立脚した思考と血肉』に脳内体内を大きくupdateすれば、今の時代の対応は簡単。

— MasaDjp (@masjp72) March 7, 2022 ">



リンク


ロシアvs西側&ウクライナの情報戦争で、顕著な違いの一つとなっているものがある。それはロシアの政府とマスメディアの観点からするところの、ウクライナの新たな政界の中心的存在「バンデラ派」と「ネオナチ」だウクライナの革命政府とそれを支持する西側諸国は、ロシアの主張を「クレムリン宣伝者の嘘」とし、皮肉にあしらっている。革命に参加した「愛国的」、「親欧的」勢力を、「バンデラ派」と呼ぶことは、はたして正しいことなのだろうか。


ボリシェヴィキによる人工国家 


 ウクライナは、ウクライナ人の民族自決の結果ではなく、ボリシェヴィキによってさまざまな地域が統合された結果生じた国家だ。ウクライナの政治は長年、有権者数で同等な2地域、すなわちウクライナ西部と、西部寄りの中部vs南東部の対立で決まってきた。これらの地域の住民は文化的に異なり、東部ではロシア語が圧倒的に優勢で、西部ではウクライナ語の方が普及している。また経済的にも異なり、東部では主に工業、西部では主に農業が盛んだ。

 現在の欧州広場の参加者は、ほとんどが西部の住民。そのイデオロギーは東部との意見の一致を促すものではなく、唯一かつ完全なウクライナの民族主義のイデオロギーである。

 

ウクライナ民族主義 


 ウクライナの民族主義がイデオロギーとして生じたのは1900年代初めで、ドイツのナチズムや当時の他の極右イデオロギーと似た特徴を持つ。このイデオロギーには忍耐力の欠如、直接的な政治活動、暴力、少数派の権利無視の傾向がある。ウクライナの民族主義者は、社会の非ウクライナ的な要素を厳しく抑圧しながら、厳しい支配下での建国が必要だと考えている。問題は、そのような非ウクライナ的な要素が、ウクライナのほとんどを占めているということだ。ウクライナ色がもっとも強い、西部ハルィチナでさえも、これは少なくない。

 ヨーロッパのように、ウクライナの民族主義者についても、穏健派と過激派にわけようとする動きが時々生じるが、これは正しくない。ヨーロッパのどの民族主義も最初は穏健派から始まり、その後過激派が形成されていくのである。ウクライナでは、最初から過激なイデオロギーが存在している。

 

敵の敵は味方


 第二次世界大戦中、主にウクライナ西部で、ステパン・バンデラとその右腕ロマン・シュヘヴィチ率いるウクライナ蜂起軍が活動していた。これはウクライナの民族主義史でもっとも有名な部分だ。

 バンデラ主義者とナチスドイツ占領軍の関係は困難なものだったが、主な敵はソ連であるという点で一致していた。この姿勢はウクライナ民族主義のすべてのイデオロギー(ウクライナ人の主な敵はあくまでもロシア人)で共通していた。バンデラ主義者の活動が活発化したのは1944~1945年と、冷戦開始によってイギリスとアメリカの特殊機関とバンデラ主義者との共同作業が整えられた戦後しばらく。

 だが1950年代半ばまでに破壊活動はほぼなくなり、大多数が平和的な生活に移行することに合意した。バンデラ自身は戦後、イギリスの諜報機関の保護のもと、ドイツ・ミュンヘンに暮らしていたが、1959年にKGBのスパイであるボグダン・スタシンスキーによって、シアン化カリウム入り注射器の仕込まれた特別な銃で暗殺された。

 今年4月、ロシア連邦国防省が保管する極秘文書から、当時のバンデラ主義者の活動について、より多くが明らかになった。文書には、ナチスドイツの占領勢力への後方支援や、民族浄化などの活動実態について記されている。ユダヤ人だけでなく、他の民族の代表も根絶させようとしていた。バンデラ主義者のテロは、ウクライナの民族主義のイデオロギーに反対するウクライナ人にも向けられていた。ウクライナの子どもは現在、これらの人々を民族の英雄として崇拝するよう教えられている。

 

民族主義的な教育


 ソ連崩壊後のウクライナ南東部は、西部と異なり、独自のアイデンティティやイデオロギーを持ち合わせてなかった。そのため、ウクライナ政府に南東部の代表がいた時でさえ、政治の人文分野すべてが、ハルィチナのウクライナ民族主義者にまかされていた。このため、教育システムや情報政策の運営は、統一された民族主義的な傾向にしたがっていた。ウクライナの子どもは、極右的な視点のウクライナ史が書かれた歴史教科書で学んでいる。テレビでもウクライナの過激な民族主義的プロパガンダが流されている。ウクライナでまかれた学校・情報教育の芽は、今収穫の時期を迎え、南東部でさえも、ウクライナ化された30歳以下の若者がたくさんいる。そしてその親も、ウクライナ人としての強いアイデンティティを持っている。


引用終わり