夢を見たら、一度言葉にしないと忘れてしまいますよね?

夢だけでなく、何か、映像を記憶する時はそうでしょうか。


言葉にする、ということは、

「名前をつけて、分離させる」

「形を与える」

ということ。


ということは、言葉のなかった原始社会では

「嬉しい」とか「悲しい」とかの感情はなかったのかな・・・


言葉ができて、感情が発生して、現代人はこんなに悲しんだり、そのために病気になったりするのかな・・・



「そうねもしこの世に言葉なんてなければ

私たちずっと一緒にいれたよね」(HORIZON/UA)



言葉のない時代、相手と自分の境界はきっともっとあいまいで、意思の伝達はもっと容易だったんだと思います(あるいは、その必要もなかったのかもしれない)。



多分、自分や家族や仲間が生きることだけを考えていた野生時代、<快>と<不快>くらいの感情しかなかったのでは。


そこには無駄な悲しみはなく、誰を恨んだりすることもあまりないと思う。



自然動って、<野生の直感+現代のカルマ理解>を統合することです。



やっぱりすごいなぁと思って、今日は自然動に従わなかったことを反省して、こんなに書いてしまいました。






◆ダイアリー「コペルニクス的」http://esalen.jugem.jp/