【若狭神宮寺 お水送り神事 鵜の瀬編】
川岸の大護摩の激しい炎が小さくなって
川岸の大護摩の激しい炎が小さくなって
法螺貝や錫杖を振る音が弱まると、
勢いよく流れる遠敷川の流れが大きくなり、
対岸では、いよいよ
奈良の東大寺二月堂の若狭井へと
送られる御香水が
川淵に注がれる「送水神事」へと移って参りました。
この度の
さまざまな奇縁に感謝です✨🙏✨
◎お水送りの由来
http://www.fukui-c.ed.jp/~cdb/gyouji/omizuokuri/
春を告げる行事として全国的にも有名な奈良東大寺二月堂の「お水取り」。その水は、若狭小浜の「鵜の瀬」から送られ、10日かかって東大寺二月堂の「若狭井」に届(とど)くとされています。
かつてのシルクロードの玄関口、若狭・小浜から奈良へと伝えられた大陸文化や南蛮(なんばん)文化の歴史の足跡が、あざやかにこの伝統行事の中に残されているともいえます。
すなわち奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。
若狭神宮寺
若狭神宮寺
和銅(わどう)7年(714)白石明神直系の「和の朝臣・赤麿」が神願寺を建立し、遠敷明神(おにゅうみょうじん)をまつったのが神宮寺の始まりです。
東大寺を開山した良弁僧正は、若狭小浜の下根来(白石)出身とされ、大仏建立には当時若狭にて修行中のインドの渡来僧・実忠が招かれています。
天平勝宝 4(752)年、この実忠が東大寺二月堂を建立し、修二会を開いて全国の神々を招きました。ところが、遠敷明神が漁に夢中で時を忘れて遅刻しました。そのおわびに本尊に供えるお香水を若狭から送ると約束し、二月堂の下の岩をたたくときれいな水が湧き出したと伝えられます。

