悟りとは何か | 僧侶の妻になったワケ

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奈良で住職となった主人と二人、お寺の再建・復興に奮闘中です。

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『三毒』


貧欲の壊滅(えめつ)
瞋恚(しんい)の壊滅
愚痴の壊滅



貧欲とは、
好ましい対象に執着する心のこと

瞋恚とは、
好ましくない対象を嫌悪する心のこと

そして愚痴というのは
根源的な無知であって、ものごとを
ありのまま(如実)に知見できないこと



煩悩の根本的なものであるとされている三毒。

この三毒の壊滅を言うのだから、
つまり心に煩悩のない状態のことが
「悟り」であると考えられていることになる。



つまりは、
『盲目的な癖を、永遠に止めること』が
すなわち『悟り』だと考えられているんだそうです。


『衆生(我々)が 癖によって 盲目的に行為し続けている状態』が、すなわち『迷い』で
「それを止めた状態」が「悟り」である。…


【仏教思想 の ゼロポイント】 魚川裕司著より

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と、いきなり難しい話しからスタートしましたが

眠らせてあった本を
最近、やっと読み始めています。



そもそもの話しですが、

「悟り」が “ひとつ” って考えたら

途方もなく遠いもの になるし、

全くもって相容れないもの
にもなる場合も出てくると思うのですが…



今世だけでは、とうてい完結しないもので
一体、世界中の何人が辿り着くか
もしくは、誰もが辿り着かないような
そんな究極を、


その解釈は間違ってるとか
そもそも辿り着いてない人が論ずる悟りなんて

絵空事過ぎて、ややこしいだけっ…😱



(そもそも、ブッタは全員に当てはまる教え
なんてものは説いていらっしゃらないはずで)


そんな後世の人が、ややこしくしたような教えは改めて、

究極の悟りに至るまでの
“小さな悟り” の段階があってもいいと思います。



そう、「スモールステップ」!!


・それならなんとなく理解できるかも!
・あそこまでなら行けそう(がんばれる)かも♫



ということを繰り返していくと、


最後の最後に、この
究極の「悟り」の状態に行き着く!!


…と、自説の暴走も程々に、😅





この魚川氏の御本、まだまだ途中ですが、

帯に書かれた
「日本の仏教はなぜ「悟れない」のか」を

魚川氏ご自身がどう解説されているか

興味深深です。