「何を大切にしながら生きるか」その2 | 僧侶の妻になったワケ

僧侶の妻になったワケ

わずか1%といわれる40歳を越えての初婚を
たったの4ヶ月で果たしてから、早ン年⁉︎
奈良で住職となった主人と二人、お寺の再建・復興に奮闘中です。

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今朝の投稿は、
文字制限によって余儀なく中断されましたが…


今週に入ってから
周りの人に “体当たりされる” ことが続いていまして



ひとつは、
ピアノの大人のレスナーさん。

『じゃあ、私が高校生の頃から信じて来たことは
一体、なんだったんですかっ』


五年になりますが、

間違えて覚えておられたことによって
周りとの人間関係や自身のプライドまでが
破綻をきたすまでに至っているというのに
その考え方、自分が正しいという思いが改めらないご様子で…


思うように弾けない、頭が回らない(認知症ではないか…)

涙ぐむまれる日は、これまでにも何度もありましたが、とうとう逆ギレ…



そして次の日、イオンに車で買い物に行った際には
2度も横から突っ込まれる‼️事態に遭遇。


( 一度目は電気もつけないで走って来た自転車、
二度目は、駐車場を探しながら一旦停止もせずに曲がって来た車)

そんな間一髪の危ない目にあった直後は、

『なんで時間を守られへんねん』
と、今度は住職さんが仁王立ちっ



言い合いがエスカレートする時って
“今、ここでの問題” だけではなく

過去のことを持ち出したり
相手に伝える努力なく
ひとり勝手に抱え込んだことまでに話しを広げて


言った、言わない から
自分の正当性の主張合戦となると

もうその場の収拾はおろか
人間関係が破綻するまでに至ってしまうことは
よくある話しですねぇ…



誰しも、自分の信念に従って生きています。

そんな大それた “信念” なんて、何もないよ
と言っても
みんな、「これが常識(当たり前)でしょ」というものがないと

怒ることや泣くこと、そして喜ぶこともないのです。


信念とまではいかないけれど
何と無く、“勘違い(思い違い)”していること、

勘違いしていることにさえ気づけてないけど
“勘違い(思い違い)”していること


それの思いが、思いの外、
自分自身の人生を生き難くしていることもあれば


積極的に “思い違い”を取り入れて
上手く人生を楽しんでいることもあるのだと思います。


その信念によって
何を守っているのか?
貫くに値する信念か?
貫く代償は?


切れる前に、ぜひそう自問したいものです



(【和楽器バンド】 のカッコのよいことっ)