八重桜 【編集】 | 僧侶の妻になったワケ

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わずか1%といわれる40歳を越えての初婚を
たったの4ヶ月で果たしてから、早ン年⁉︎
奈良で住職となった主人と二人、お寺の再建・復興に奮闘中です。

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く今年の春は
日毎に寒暖差が激しく

ソメイヨシノなどの桜が
散り始めてから早10日。。。



我が坊の八重桜も

やーーっと、花盛りを迎えました。




野生の山桜に対して
人里の桜ということから 「里桜(さとざくら)」 とも呼ばれる。
 


また花の形から
「牡丹桜(ぼたんざくら)」 とも呼ばれる。


「関山(かんざん)」
「一葉(いちよう)」
「普賢象(ふげんぞう)」
「鬱金(うこん)」
などの種類がよく知られている。



八重桜といえば思い出すのは、百人一首❗️


『いにしへの 奈良の都の 八重桜

     けふ九重に にほひぬるかな 』



第61首‼️ なんですね~☆彡



この歌の詞書には、

「一条院の御時、奈良の八重桜を、人の奉りて侍りけるを、そのおり、御前に侍りければ、
その花を題材にして、
「歌詠め」と仰せ言ありければ」とあります。


作者の伊勢は、奈良から宮中に届けられた八重桜の献上品を、宮中で受け取る役に抜擢されました。

その時、藤原道長から急に、即興で詠めと言われ、即座に返したのがこの歌です。 

「いにしえの古都、奈良の都の八重桜が、
九重の宮中で見事に咲き誇っていますよ」
 
すなわち、
「かつての奈良の栄華をしのばせる豪勢な八重桜だけど、
今の帝の御世はさらにいっそう美しく咲き誇っているようです」

と花に託して、今の宮中の栄華ぶりをほめたたえる、
まことに見事な歌だといえるでしょう。   

伊勢はこの時、紫式部からこの役を譲られたばかりで、宮中では新参者でした。
とっさに歌を振られてさぞ緊張したことだと思いますし、
周囲も才女中の才女・紫式部の後釜が、どの程度の力量の持ち主か図るつもりもあったのでしょう。

そこで、伊勢はこのスケールたっぷりのこの歌を披露し、面目を立てたのでした。』


八重桜は、
かつての奈良の都の栄華の象徴だった
んですねぇ~!


大事にしたい自坊の宝です。