さて仕事の合間に願書提出に向けて色々な書類を揃えなければならなかった。
こういう書類集めはもうお手の物だった。
大学院の卒業証明書もそのうちの一つだだった。
電話でお願いして郵送をしてもらうのが一般的だということを知ってはいるが、送ってもらえた事がなかったのではじめから大学に行くことにした。
大学はいくつかの学科ごとに分かれているため、敷地自体は広大でも意外にも知り合いに会うものだ。
研究室の担当教授が横を通り過ぎていくが、会釈をされてすれ違っていった。
私は特に話しかけずに学務課に向かっていった。
こんな事よくあることだ、昔よく通ったケーキ屋に行っても誰一人私だって気が付いてくれない。妹といった時にはお友達だと思われてたからね。
わざわざ掘り起こして懐かしい話をしたいとも思わないが、なんとも寂しいものだ。
それだけ、性別はその人のアイデンティティなのだなって感じるよ。
以前も書いたが卒業証明書の名前は変えられない、だからここでの私のゴールはその卒業証明書は「私」の証明書だということを封をする前にどうにかわかるように書いてもらうことだった。
大学側の返答は、裁判所の判決通知書類、可能であれば昔の名前が書いてある公的な紙の提出であったが、もちろん万全を期して向かったのだ持っているに決まっていた。
そのまま自宅に郵送してくれることっとなり、無事新たな学校へ行くための切符を手に入れた。
私は学校を出る前に自分がいた研究室に向かった。
研究室の横に休憩スペースがあり、在学中よくそこで外の風景を眺めていた。
私「いろいろなことがあったなぁ、大学院時代は忙しすぎて、時間外使用許可とってよく泊
まりで研究したなぁ」
ドクターペッパーを飲みながらしみじみしていたら、後ろから声をかけられた。
教授「お疲れ様です。さっきどっかで見たことあると思ったらやっぱりお前だったか、ずい
ぶん雰囲気が変わったな。」
私「先生、先ほど急いでおりましてちゃんとご挨拶せずに申し訳ございません。」
教授「最近どうしてる。」
私「そうですね。秘書ですが医療系の会社に勤めております。」
教授「そうか、どんな職についても今まで得た知識は無駄になることはないから頑張るんだ
ぞ」
私「ありがとうございます」
大学に来てよかったと思った瞬間だった。
名前や戸籍は確かに私を縛っていたが、私は確かにここにいたんだって思った。
繁華街のクリニックではトランスジェンダーについてずいぶん考えた。
自分が男性である証明、自分が女性である証明とははたしてなんだろうか。
心に性別なんてあるんだろうか、あるとしたらそれは器質的なものなんだろうか。
それとも魂といわれるようなものに近いものなのだろうか。
一般的に常に自分の性別を気にして生きている人は基本的にいないだろう。
しかし、気にしていない人にこそ問いたいこともあった。
もし、2人きりの部屋で相手に自分の性別を証明してくださいという問いをかけられたときあなたは何をもって自分の性を表現しますか?
体の形態ですか?
社会的な役割ですか?
恋愛の趣向ですか?
生物学的な証拠ですか?
証明出来ますか?