厳しさの中に 愛がある
そういう時が 時と場合によって ある程度は 必要
だと思っている自分がいました。
本当に そうなのかな?
もう一度 それについて 考えてみる機会を 与えられました。
『もう 必要ない』
そう 思いました。
いつでも 愛のある方向へ
優しさを 見つけ出す 努力を 怠らない 人
そういう 人に 私も なろう
何かに傷ついて、凹んで、
乗り越えた先に 前よりちょっと大きくなった
新たな自分がいて
そうやって人は成長していく、と思っていた
うん、よく考えたら、その考え、ちょっと違うな・・・
何かに傷ついて、凹んで、
乗り越えた先に 前よりちょっと大きくなった
新たな自分がいて
だけどまた 何かに傷ついて、凹んで・・・
実のところ ずっとその繰り返し してきたんじゃないの?
確かに それでも ちょっとずつは 成長してるのだろうけど・・・
そういう次元とは 明らかに違う次元で
加速度的に 成長している人達がいる
自分と そういう人達 とは 何が違うのだろう・・・
あと もうちょっとで わかりそうな気がする
すでに もうわかってる気もする
日々 大切に過ごす中で 確信に 変えていこう
『気づかないうちに誰かにナイフを刺してる』
この言葉に グサッと きた
私には 思い当たる 節がある
気付いていることでも 気付いていないことでも
私はまだナイフを持っているし 刺しているな・・・と。
誰かを刺している ということは
自分を刺している と同じこと
いつでも どんな時でも
大きな愛を持って
優しさを見つけ出す 努力 を 怠らないでいこう
もう迷わないし 立ち止まらない 大多数の大きな波にも揉まれない
そう決めたんだった!